日本翻訳連盟(JTF)

通訳研究と実践・教育の関係

2016年度JTF第5回翻訳セミナー報告
通訳研究と実践・教育の関係


武田 珂代子


立教大学異文化コミュニケーション学部教授。通訳者・翻訳者としての長年の経験にもとづき、通訳翻訳の歴史や教育、社会文化的側面に関する研究に取り組む。2016年立教で通訳者・翻訳者養成プログラムを立ち上げ、指導。日本通訳翻訳学会副会長。2011年までミドルベリー国際大学モントレー校(MIIS)翻訳通訳大学院日本語科主任。米国時代に外務省、カナダ政府の通訳者養成、通訳資格試験に従事。MIISで翻訳通訳修士号、ロビラ・イ・ビルジリ大学で翻訳通訳・異文化間研究博士号を取得。最新刊『翻訳通訳研究の新地平』のほか、著書、訳書、論文多数。

 



2016年度JTF第5回翻訳セミナー報告
日時●2017年2月15日(水)14:00 ~ 16:40
開催場所●剛堂会館
テーマ●「通訳研究と実践・教育の関係」
登壇者●武田 珂代子 Takeda Kayoko  立教大学異文化コミュニケーション学部教授
報告者●建部 優子(株式会社 十印)

 


 

通訳と翻訳、異なる言語や文化の架橋という点では目的は同じだが、あとから推敲可能な翻訳とは違い、通訳の場合、一度発した言葉を訂正するのは容易なことではない。翻訳関係のテーマが多いJTFセミナーで、今回は、実務通訳者であり教育者および研究者でもある武田 珂代子先生に「通訳研究と実践・教育の関係」というテーマで講演していただいた。

通訳訓練生から実践者、教育者、そして研究者の道へ

アルバイト的に翻訳を生業としながら世界各国を旅したあと、本格的に翻訳の勉強をしたいとの思いからミドルベリー国際大学モントレー校(MIIS)のウィンター良子氏の門を敲く。翻訳だけでなく通訳スキルも習得したほうがよいという同氏の勧めに従い通訳の訓練を始める。実践者として活動を開始した後は、ハリウッドの映画関係の通訳や会議通訳を皮切りに、TEDのチーフインタープリター、日米貿易交渉、デポジション通訳など、国際的な舞台へと活躍の場を広げていった。実践者として経験を積み、教育者としても母校、MIISで教鞭を執るうちに、実証データに基づく効果的な通訳訓練法や、通訳という仕事を世間に認知させるための体系的説明が不可欠であるとの考えに至り、研究者としての道も歩み始める。

通訳研究の歴史

通訳研究は20世紀初頭の欧州で始まった。通訳者による会議通訳の様子を目の当たりにした心理学者が、通訳者の認知能力と言語運用能力、そうした能力を取得するための訓練法について強い関心を寄せるようになる。通訳研究の歴史を振り返る上で欠かせない出来事がふたつある。ひとつは、第一次世界大戦後の世界の新秩序を決めるパリ講和会議(1919年1月~1920年8月)。それまで国際会議の公用語はフランス語であったが、イギリスのロイド・ジョージ首相、合衆国のウィルソン大統領がフランス語を理解できなかったことから英語も外交用語として認められる。他の言語も含めた通訳が正式に入り、会議通訳という専門職が誕生することになった。国際連盟などでの逐次通訳は、1回に数十分にも及ぶ長いスピーチを壇上で行うもので、通訳者には最適なノートテイキングとパブリックスピーキングの能力が求められた。そのためノートテイキング手法など通訳スキルの効果的な習得についての研究や実践がジュネーブ大学をはじめとする欧州の主だった大学で活発化していった。
もうひとつ忘れてはならない出来事が、同時通訳が公式に初めて行われたニュルンベルク裁判である。4言語間で原発言とほぼ同時に訳出するという正に神業のような通訳を聞いて、通訳に対する研究者の関心は一層高まり、これを機に同時通訳の教育や研究が始まる。

東京裁判における通訳を博士論文のテーマに

東京裁判の通訳の特徴は「日本人が審理を通訳し、日系米人がモニターとして通訳をチェックし、言語裁定官として白人米軍士官が翻訳・通訳上の争点について裁定する」という三層構造で進められた点にある。武田氏は、この通訳態勢の特殊性に注目し、東京裁判をテーマに選び、論文を書き上げた。このときの『東京裁判における通訳』は「東京裁判の歴史的・政治的文脈、裁判関係者間の力関係、通訳作業に関わった人々の社会的・文化的背景に目を向けながら通訳事象を説明している」と今も高い評価を受けている。

通訳教授法

自分が習ったように教える、自らの実践経験で習得した内容に基づいて教える、直感的なアプローチで教えるなど、教え方についてはいくつかの方法論があるが、理論や実証研究のデータなど証拠に基づいた教授法が必要である。これは、汎用性があり、学生が自律的な学習ができるようになる道でもある。

通訳スキルの習得

逐次通訳を実践できるようになるには、世界情勢や歴史、文化、政治についての深い理解、高い教養はもちろんのこと、パブリックスピーキング、ノートテイキングなどのスキルを磨く必要がある。ノートテイキングについてはさまざまな研究がされている。理論的にはシンボルを多く使って目標言語でノートをとることが推奨されている。原発言を聞きながらの情報処理を促すからだ。しかし、プロの通訳者を対象とした実証研究では、ノートの取り方はさまざまであることがわかっている。結局は、これが正解!というやり方があるわけではなく、きちんとした訳出ができるのであればどのようなメモであっても構わない。ただ、ガイダンスとして学習者には理論や実証研究のデータを説明すべきだ。

通訳パフォーマンスの評価法

習得した通訳スキルをさらに向上させていくには、パフォーマンスに対し、信頼性や説明可能性のある評価項目に基づいて評価・還元していく必要がある。立教大学でも諸研究に基づく評価項目シートを使い、学生の通訳パフォーマンスを評価している。学生もその評価項目に沿って、自分自身またクラスメートの通訳評価をする。

テクノロジーと通訳支援ツール

昨今のITテクノロジーの進化は、通訳形態やノートテイキングに大きな影響を与えている。Skypeなどの通信技術を利用した遠隔通訳では通訳者が現地まで足を運ぶ必要がない。参加者の時間帯を調整すればよいだけだ。ノートテイキング支援ツールも登場し、ノートテイキングのスキルが十分でなくても通訳できるような状況も出てきた。テクノロジーは実践をどう変えられるか、という通訳研究もすでに始まっている。

通訳研究は、実践経験と密接につながった学問分野である。実際、通訳研究者の多くが実践者である。実践は実証データとして研究の場で活用され、逆に実証研究の結果は、通訳教育にも実践現場にも効果的にフィードバックされうる。このように双方向にフィードバックし合うことで実践、教育、研究の各分野は相乗的に有益な効果を得る可能性がある。こうした連携をさらに強化、向上させていくためにも、不足している通訳研究者の養成と充実は喫緊の課題である。
 


 

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