覆面座談会 翻訳者から見たMTPEの現在と未来(後編)
産業翻訳の分野を中心に翻訳の現場で急速に広がるMTPE(機械翻訳ポストエディット)に対して、翻訳者はどのように感じ、いかに向き合おうとしているのか。翻訳者としてのスタンスにも関わるMTPEとの付き合い方について、本特集では、覆面座談会の形で忌憚なく意見交換をしていただきました。今回はその後編です。
サトシさん:個人翻訳者および今回のモデレーター。MT(機械翻訳)はいろいろな会社が実験的に使っていた頃から付き合いがあり、PE(ポストエディット)もテスト段階を見てきたが、今は個人的にPEは請け負っていない。MTの精度は今も常に追っている。一方、生成AIには世話になっている。
タケシさん:個人翻訳者。MTPEはやらない。
ミサトさん:個人翻訳者。MTは基本的には使ってない。
ハナコさん:社内翻訳者。MTは積極的には使わないが、使ったことはあり、条件によってはいやではない。
ハンベェさん:翻訳会社勤務、社内翻訳者。MTは積極的に使っている。
ジョジョさん:JTFジャーナル編集部からオブザーバー的な立場で参加。
●MTPEと単価
ミサトさん:今後MTPE(機械翻訳ポストエディット)の利用は増えていくと思いますが、今の値段でそれを生業とできるのか。MTPEを否定しているわけではなく、MTはあくまでツールで、特にこれからはどんどん良くなっていくので使えばいいとは思うんですが、翻訳業界的には、それで食べていけるレベルに値段を食い止めないと、PEすらやる人がいなくなると思います。
ジョジョさん:でも、たとえば、MTPEの場合、翻訳の1/10の単価になるけど、1/10の時間でできるからその代わり量を10倍出します、と。そしたら同じじゃないですか、食べられますねっていう人がいますよね。
ミサトさん:本当にそうならいいんですけど、今の段階では、ものによっては負荷が120%になるのに、もちろん50%の負荷のもあるけれど、一律60%しか払いませんよと言われる。そう言われたら、値段と時間に合わせて今までの1.5倍の量をさばかないと無理だなと思うと、「まあそれっぽい日本語になってるし、いいか」みたいに流していく人が増えていくのが怖いなと思います。
ハナコさん:機械翻訳で出されたものがどのくらいのレベルなのか、それを仕上げたときの仕上がりがどのレベルか、というのは数値化できないですものね。
ミサトさん:数値化して機械翻訳を評価する「BLUEスコア」というのがありますね。
サトシさん:実際の現場で役立つかどうかは別ですよね。あれは研究者レベルだと思いますよ。
ハナコさん:だから難しいですよね。「単価は安くなるけど、今までの1/10の時間でできる仕事を10倍出すから」と言われても、本当に作業量が減るのかといったら、また別で。実は20倍ぐらい時間がかかる可能性もあるわけで、やってみないとわからないという意味でも負荷が高いなと思います。
ミサトさん:今は翻訳のチェックだと時給で払っているところも多いようですが、PEは単語単位なんでしょうか。
サトシさん:PEで時給というのはあんまり聞かないですね。
ハナコさん:私は、チェックを時給で言われたことはないですけど、時給ベースも多いんですか。
ミサトさん:私もほとんどやっていませんが、時給って話を聞きますよね。
サトシさん:その時給も難しくて、たとえば1万ワードの案件で、翻訳だったら1万ワードで1週間とか2週間かかるけど、1万ワードのチェックを3日で、っていうのは普通でしょう。あるいは1日かもしれない。QA(品質保証)チェックで1000ワード1時間はよくあるから1万ワードだと10時間かもしれない。それ以上お金を払えないケースもあるんですよ。そうすると、こちらはいいものにしたくていくら時間かけても10時間分しか払われない。でも実際は、お客さんによって、QAするために15時間かかりましたと言うと、ちゃんと払ってくれるところもある。
ミサトさん:そういえば、思い出しましたが、去年やりました。ちょっと特殊な案件で、単語レベルのチェックだったんですけど、それは時給ベースで、1時間に何ワードと目安はあったけれど、実際にかかった時間分は払いますと言われました。
サトシさん:それが一番助かるし、QAチェックをやるならそれがいいと思う。
ミサトさん:そうですね。実際やってみたら、言われたよりも早くできたものも、1.5倍ぐらいかかったものもあったけど、かかった時間分ちゃんと払ってくれました。だからそうしたほうがいいと思うけど、どうなんでしょうかね。
サトシさん:人間の訳文のチェックとPEのチェックでは負荷が違うということもあるから、PEを時給でやるのは難しい気がします。
●「オーバークオリティは不要」と言われても
サトシさん:昔、翻訳祭である企業が一時期、盛んにMTとPEのモデルを提案していました。その頃は「できあがる日本語はここまででいいです」、つまりオーバークオリティは必要ないということを毎年講演していました。でも、今はMTPEの世界でそういう話は聞かないんですよ。人間の翻訳と同じにしてくださいという話ばかりで。
ミサトさん:ひと昔前、「ライトエディット」ってよく聞きましたね。今はあまりないんですか。
サトシさん:あるはずだけど、あまり聞かないですね。
ハンベェさん:ポストエディットの中で、どこまでがライトエディットでどこまでがフルエディットなのか判断が難しいです。
ミサトさん:以前、ライトエディットの説明を聞いたときは、一番ライトなものだと、出てきた文章を訳文のネイティブが原文を見ずに整えるということでした。だから誤訳があっても見つけられないけど、それが一番ライトなバージョンだと聞いたことがあります。
ハナコさん:さきほどの、翻訳祭で講演していた企業が提案していた「ここまで」というラインは、みなさんが聞いても納得できるものだったんですか?
サトシさん:はい、特にわかりやすいITの分野だったので。それこそさっきの「by using」だったら、全部「~することにより」でよい、多少日本語がギクシャクしてもいいです、というレベルでした。
ミサトさん:だけど、誤訳があるかどうかを見たかったら?
サトシさん:でも「by using」を「~することにより」と訳してあったら、それはそれで誤訳じゃないのでは。これはニューラルになる前だったから。
ミサトさん:そうですね。今はニューラルだと否定を肯定にしちゃったりとか、まるで逆になったみたいなことがあるから、どの段階がどのぐらいライトなのかミディアムなのか、わからないですね。
ハンベェさん:よほど慣れている人が、その基準を言ってくれないとわからないですよね。たぶん普通の翻訳者は、そんなにやらなくていいですと言われても、フルのポストエディット以上で、人間翻訳と同じレベルのものを出してくると思います。
ミサトさん:翻訳者って、とりあえずちょこっと直したものでも、自分の仕事として出すわけだから、あまり変なものを出したくない。少し前にもツイッターで誰かが言ってましたけど、値段なりの質のものと言われてもできない。それをやったら、最初に頼んだ人は「この人安いから手を抜いたんだ」とわかってくれるかもしれないけど、最終的には「あの人のレベルはこれなんだ」というふうに言われかねない。だから、どんな仕事でもすべて全力で出したいと。
ライトエディットをやらせたいならPE専門の人じゃないと、そこまでの割り切りはできないんじゃないですかね。昔のライトエディットが今はどうなったかわからないんですが、もしその分野が大きくなるんだったら、本当にPEを専門職にしないと。今翻訳をがっちりやっている人が「このぐらいだけ見ればいいから」という方向にはならないと思います。
サトシさん:そのへんを使い分けなきゃダメですよね。さっきMTプラスAIの話になりましたけど、私はMTをかませるものは、1日も早く人間の手をいっさい介さないようになってほしいし、PEは一時的に成り立っても、いずれはなくなる仕事であってほしいです。
ハナコさん:PEをやりたい人がいるかどうかも、あまり見えてきてないですよね。
タケシさん:意外といると思います。そういう作業が好きな人は絶対いるので。
ミサトさん:ちょっと英語に関わる仕事がしたい、イチからは訳せないけど翻訳に関わる仕事したいみたいな人だったらいるかも。
サトシさん:ライトユーザーのような意味で「ライト翻訳者」があってもいいけれど、いずれなくなると思う。というか、なくなってほしい。
ミサトさん:「ライト翻訳者」が一時期、必要だとしても、やっぱり翻訳業界で1日8時間とか働くんだったらそれで食べていけるギャラを確保できる世界にしてほしいです。
タケシさん:でもPEではやはり値段はつかないと思います。顧客側から見てもたぶん。
サトシさん:構造的にたぶん無理ですよね。
ハンベェさん:ちょっと難しい気がしますね。
サトシさん:今でこそまだPEでもフルの単価を出したりして、ギリギリで成り立っているけど、もうそうはいかないと思います。
タケシさん:下がる一方でしょう。
●MTと相性がよい分野
サトシさん:実際に私の知ってるケースでMTPEが成功していると思う数少ない例は、ITのかなり定型の多い文章。PE単価はフル単価の7~8割ぐらいで、このぐらいのレベルの訳文に仕上げてくださいというターゲットがかなりきっちり設定してある。それだったら、その単価に納得する人がいればたぶんMTPEは成り立つんですよ。でもまだまだそれは稀有。
ハナコさん:そういう体感のお話を伺うと、ITはそうなんだと思えるんですけど、たとえば、「医薬業界ではみんなが使って大成功しています」と売り込みされても、本当にそうなのかなって。具体的に見せてもらえずに宣伝文句だけだと、イマイチ見えてこないです。
サトシさん:産業翻訳の世界って、けっこうITをビジネスモデルにしてしまうパターンがありませんか。ITで成功していると他の分野も大丈夫ですよと言っちゃう。そうでもないですか?
ジョジョさん:いや、医薬もあるし金融もあるし、そうでもないと思います。
ミサトさん:特許だと、パターン化されている部分が必ずあるんですよ。1つの特許明細書がどのくらいの分量かによりますが、必ず出てくる項目があるので、それはたぶんうまく通ると思います。ただ、それが新しい技術の説明だったりすると難しいんじゃないかなと思うんです。結局、どれだけ同じようなデータがあるかですね。どの明細書にも必ず出てくるものだったら、同じようなデータがあるところはたぶんすごくきれいに通る。同じ1つのファイルの中でも、9割方使えるものと2割も使えないものがすごく入り乱れることになりそうなので、やはりちょっと難しい気はします。
サトシさん:マーケティングの世界でもMTはわりと良いものを出すことがあります。なぜかというと、原文が陳腐だったりすることが多いから。原文が陳腐だと、データがすでにあるから訳が出てくるんです。でも、マーケティングでは、まだまだクリエイティビティを発揮するライターが多い。そうなると、とたんにMTはガタガタになる。
ミサトさん:医薬の中では治験関係だとだいたいパターンがあるので、データがたくさんあればわりといいものが出てくるんじゃないかなという気はします。
ハンベェさん:機械翻訳によっては分野に特化して、たとえば医薬に特化した文章のコーパスを大量に覚えこませてやっています、という謳い文句の会社もあります。
ミサトさん:MTを使っていて、医薬の中でもこのへんが得意だなとか、これは苦手だなというのは見ていて思いますか。どんな種類の文書でも同じなんですか。
ハンベェさん:そんなことはないです。ただ、さっき言ったように原文に対して、3種類ぐらいの機械翻訳を並べてやっていくと、必ずしも特定のソフトが全部優れているということはないですね。3つの中でこの部分はこれがいい、あれがいいということがしばしばです。
サトシさん:そうでしょうね。結局、確率で当てるだけだから。
タケシさん:翻訳祭でMTなどが特集されるより何年か前に、医薬分野で、クライアントさんがMTとCATツールを組み合わせて、人の手をほとんど加えずに申請を出したという事例を発表していました。
ハンベェさん:剤形変更とはどういうことでしょうか。
タケシさん:たとえば、まず薬があってそれが飲み薬だとして、効き目があるとすでに証明されている同じ成分で今度は注射にしてみましょうという場合などで、これを剤形変更と言います。剤形変更はだいたいの骨格ができているところに変更していくのが多いので、CATツールとの相性がいいというふうに言われています。
ハンベェさん:申請資料の部分改訂の場合ですね。
タケシさん:そうです。もともと新薬を出すときも、プロトコールにもかなり改訂が入ります。だから初版がきっちりしていれば、改訂も剤形変更も簡単だろうという扱いになると思います。そのときもたしか適応拡大で、人力をほとんど入れずに申請したとか、パートによっては、本来なら集めてきたいろいろな情報を翻訳者に出して、それをまとめ直したりするんですけど、そこもほぼ自動化したと発表していました。それを聞きながら、自分はこちらの世界には近づかないでおこうと思っていたんですけど。
普通、文章の質が悪いからと却下されることはまずないと聞いていますが、そのときは差し戻されて、手直しをして承認されたそうで、たぶんその会社的にはすごいコストダウンの成功例なんです。今はたぶん、もっと進んでいるかもしれません。
ハンベェさん:継続的に翻訳案件があることが見込める分野は、ある程度初期投資を行えば、いける可能性はありますね。
タケシさん:初版にクオリティが高いものを人力翻訳で作っておけば。
ハンベェさん:しかし、普通の翻訳会社だとどの案件にも対応できるようにリソースをつぎ込むのはなかなか難しいです。製薬会社の規模であれば、しかも年間1000億とか売上のある製品などで、継続的に翻訳案件が発生するのであればやれる可能性がありますね。
タケシさん:たしかに資金は必要だと思います。
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