「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編
第14回:JTFの理事に就任。仕事場を再び自宅へ戻す
スティーブ・ジョブズ関連書など数多くの出版翻訳や実務翻訳をてがけている井口耕二さんの「私の翻訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰する YouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、長期連載で紹介します。井口さんは大学卒業後、一般企業に就職。2年の社内留学後、正社員として働きながら副業翻訳で自らの実力を確認し、1998年に専業翻訳者として歩み始めました。第14回は、翻訳技術習得のヒント、JTFの理事に就任した経緯、仕事場を自宅に戻した理由など、多岐にわたるお話を伺いました。
(インタビュアー:松本佳月さん・齊藤貴昭さん)
マニュアルは1件だけ
井口:第11回で、大型案件のマニュアルの仕事をやった話をしましたが、あれは流体力学のシミュレーションソフトで、中身が難しいんです。流体力学は大学時代に専門でやったのですが、単位が取れてほっとしたくらいで。これでもうやらなくていいかなと思っていたのに、なんと40歳前後になってまたやらなくてはいけないことになったわけです。結局、全部積み上げたら厚み50センチほどになるくらい、専門書を買ってきました。
齊藤:ほう。
井口:いわゆる大学レベルの上の専門書です。大学レベルのは学生時代の教科書が残っていたので、それをパラパラっと見た後に、流体力学と数値流体力学の専門書を購入しました。マニュアル自体は、操作系の部分と、基礎式をどういうふうにシミュレーションしているのかという解説、そしてそのための設定などを説明する部分とがありました。操作系のところは人にお願いしたんですけど、中身の部分は基本的に自分でやることにしたので、専門書を買いこんできて勉強をしたわけです。
このマニュアルの仕事は、当初3人の予定でスタートしたのが間に合わなくなり、もうひとりお願いして、結局4人でやりました。4人でフレーズや単語の訳を統一しなければならないので、最初に用語集を作って渡しています。その用語集を作るために、繰り返し出てくるフレーズや単語を抽出する秀丸マクロをまず作りました。繰り返し出てくるものは専門用語だったり決まったものだったりする可能性が高いので、それを見ながら、専門書などを参考に訳語を当てて配布したわけです。ちなみにその秀丸マクロは、2日2晩、動き続けでした。
齊藤:すごい量ですね。
井口:ある程度の幅を取って、ひとつのフレーズが何回出てくるかを数え、何回以上出てきたら抽出する設定にしていました。それをなるべく長い単位で、繰り返しがなければ短くしていく。そういうマクロだったので、けっこうややこしいというか、繰り返し作業がいっぱいあるわけです。
あのマニュアルの仕事は、お金にはなりました。マニュアルだけど数値流体力学ということで内容が非常に特殊で難しいため、値段を高くすることができましたから。一般的なマニュアルだと、どうしても安くなってしまいますけどね。もともとマニュアル系をやるつもりはなかったんですが、研究室の先輩が紹介してくださって、内容が内容なので高くしても大丈夫だろうという話もあったのでやった次第です。マニュアルの仕事はあの1本で終わっています。だから、SimplyTermsにも繰り返しを抽出する処理は入っていないんです。その仕事でしか使っていないので。
齋藤:それ、もったいないですよ。
井口:でも、秀丸マクロじゃ時間がかかりすぎるし、SimplyTerms側に移植して動作確認とかなんだかんだ考えるとけっこう面倒で、やれてないんですよ。
翻訳技術を「体に覚えさせる」
井口:勉強については、当時、本を読んだり実際に仕事に応用してみるなどのひとりでやる以外に、仲間が集まっての勉強会がありました。
もともと翻訳フォーラムでも、フォーラム会議室でディスカッションなどをやるのが勉強会みたいな形でしたし、オンラインの勉強会もやったことがあります。フォーラムが盛んだったころからだいぶ下火になってきた時期にかけてオフラインの勉強会も当然ありました。
訳文を持ち寄るわけですが、そういう時はたいがい思いきり実験的な訳にしていました。仕事でここまでやったらまずいんじゃないかと思うところまでやってみて、ほかの人たちの反応を見る。その反応を参考にしつつ、こっちの方向で悪くないかなとか、多少取り入れるくらいにしておいたほうがいいかなとか。場合によってはみんなの反応はよくないけど僕はこっちだと思うな、みたいな感じでそっちの方向へいったりとか、いろいろやっていました。仕事で変なことをやるとまずいけど、勉強会なら何をやってもOKなのでかなり思い切ったことをやっていました。
松本:そういう冒険ができる場って大切ですよね。
井口:そうなんですよ。ほかにもいろいろ勉強して、これは身に付けるべきだなと思ったことはしばらく集中して、その点だけは必ずやると決めて体に覚えさせていきました。
2、3年前のセミナーでよく話していたんですけど、「気をつけている」ってことは、できていないってことなんですよ。「気をつけないとできません」と言っているに等しいので。気をつけずにできるところまで覚えないといけない。クセと言えるくらいにしないといけない。私は「体に覚えさせる」という言い方をしていますし、さきのさんはよく「自動運転」と言いますが、同じことを言っているなと思います。
セミナーでもなんどか紹介したのが、「の」の連続を避けることです。2連続でも必ず書き換えることを3カ月くらいやってみると、だいたい連続で書いてしまうことがほとんどなくなって、気にしなくても2連続くらいしか出てこない、3連続は滅多に使わないようになりました。気にせずともそのくらいはできるようになるんです。無理になくそうとすると文章が長くなったり必ずしも読みやすいとは限らないんですけど、少しやりすぎくらいまでやってみて、これはやりすぎだったなあと思ったらちょっと戻すみたいな感じで最終的な落としどころを決めるという形で来ています。
「は」の使い方は半年くらいかけてやり、「も」の連続も極力なくすなど、いろいろと練習しました。
思いがけない余禄
井口:前回、翻訳フォーラムのマネージャーになった話をしましたが、それで余禄的なものがちょっとありました。あのころ、フォーラムの宣伝をするために露出の機会があったら逃さずとらえることにしていて、いろいろな雑誌などに出ていました。そのせいだと思うんですけど、「あの人すごいらしい」というイメージになったようです。
翻訳フォーラムの中では勉強会などやっているので訳文もチラチラ見られるし、ディスカッションしていればだいたい実力がわかりますけど、そこにいない人は訳文が見られないわけですよね。当時はまだ出版翻訳をやっていないので、私の訳文を見た人はそれほど多くなかったわけです。訳文を見ないで翻訳者の評価をするのはどうなのかと正直思いますけど、「あの人すごいらしい」というイメージができて、そういうイメージがあると、いろいろ言いたいことがあったとき機会がもらえる、何か言ったことにみんなが耳を傾けてくれるということはあるので、ラッキーだったなと思います。それを狙ったわけではなく、あくまでもフォーラムの宣伝のためにやったことの余禄なので、「え、なんでそうなるの?」「訳文を見ないですごいって、何よそれ?」と心の中では思ってましたけど。
翻訳レートはだいたい英日を中心に考えていて、日英は高くしていましたが、前にも話したように(第9回)、2001年は、翻訳フォーラムの友だちのご主人が勤めていたコンサルティング会社から日英中心で仕事を受けた結果、この年は日英が中心になっていました。
あのころは仕事を紹介したりされたりということをよくやっていました。自分の専門外のものは専門の友だちに紹介して、「あとは勝手にやってね。やるもやらないも値段も条件もそちらで決めて」と言っていました。個人の翻訳者で仕事を受けて、あふれたときに誰かに流すみたいな話もよく聞くんですけど、それをやっても手間ばかりかかるので。
私は自分で訳すものは訳す、そうじゃないものは勝手にやってもらったほうがいいと思っています。私の友だちもそういう人が多く、紹介してもらった案件でも条件は自分で決めてという話だったし、こちらから紹介するときもそうしていました。
営業もずいぶんいろいろしましたが、紹介が一番効率がいいですね。最終的にちゃんと仕事につながるし、いい仕事になることが多いと感じます。
JTFの理事になる
2002年4月から社団法人(現在は一般社団法人)日本翻訳連盟(JTF)の理事になっています。最初はいわゆるヒラ理事です。理事になった経緯は、その1年前の2001年5月に参加したJTFの総会にさかのぼります。
総会後の懇親会に出たときに、ベストバージョンという翻訳会社の野上社長から話しかけられました。JTF理事で、のちに副会長になられた方なんですけど、その野上さんが懇親会の会場を指さして「これ見てどう思います? 僕もそうなんですけど、おっさんばっかりでしょ。本当は若い翻訳者がたくさん来るようになってほしいんです。理事になって手伝ってもらえませんか」と言われました。最初は「私はあまりそういうことをやる気はないので」とお断りしたんですが、「翻訳者の理事がいない」というお話で、じゃあ頑張ってみましょうと理事になりました。
実はそれまでJTFのイベントはスーツ姿で行っていました。翻訳会社の人たちはみなさんスーツが多いので、スーツのほうがいいのかなと思っていたんですけど、そのお話があって理事になってからは、基本的にTシャツ、ジーンズ姿で参加するようになりました。翻訳祭などではTシャツの上に襟付きの服を着ていますけど、いわゆるラフな服装です。
翻訳者に「こういうところに出ておいでよ」と誘うと、「いや、服がないし…」みたいなことを言われるんですよ。「服は気にしなくていいよ、普段着でこざっぱりしていればいいんだから」と言いながら、自分がスーツを着ていたら説得力ないじゃないですか。理事というと、JTFの中では一応「偉い人」という位置づけになるわけで。偉い人がラフな服装で来ていて、こんな格好でいいんだよと言えばそれなりでいいのかなとみんな思うだろうと考えて、基本的にそんな姿で行くようにしたんです。
仕事場を自宅へ戻す
井口:その2002年だったと思いますが、営業兼コーディネーターをやってくれていた女性が結婚退職しました。友だちからは後任を雇うなら誰か紹介しようかと言ってもらったんですけど、翻訳会社という形でやっていると、誰かに頼んだものを一応はチェックする、チェックするといろいろと気になって結局直しちゃう結果になってしまって、それがけっこうきつい作業で負担になるんですよ。それに社員がいると社長業的なことをいろいろ考えなきゃいけない。これがあまり向いていないなと思っていたので、結婚退職で彼女が辞めるのを機会に、ひとりに戻しました。
理想形はひとりでやるのか数人でやるのか、どちらかだと思うんですが、数人でやるのは私にはやっぱり良くないようだと思ったんです。ひとりに戻して、駅前の事務所もそのあと1年ちょっと使ってから引き払い、仕事場を自宅に戻しています。
私は基本的に朝が早いので、早朝は家で仕事をしていました。家にも仕事をする環境があって、そのときやっている仕事の資料などをリュックにパンパンにつめて、朝、子どもふたりを自転車の前後に乗せて保育園に送っていく。保育園から仕事場に行き、そっちで仕事をして、またパンパンに資料をつめて保育園に子どもたちを迎えにいって、家に帰って……。
松本:保育園の荷物もあるのにね。
井口:そうなんですよ。私は物忘れが激しくて、いろいろなものがすぐ、どこにいったかわからなくなっちゃうことがけっこうあるんです。事務所で何かやろうとして、「あれ、あったはずの資料がない。家に置いてきたかな」と思って、家に帰って探してもない。やっぱり事務所のどこかに置いたのかな、みたいなことがたびたびありました。これがけっこう面倒くさくなったのも、駅前の事務所を引き払って仕事場を自宅に戻した一因です。
取引先の1社が倒産
井口:この前後に1年くらい取引していた会社が1社、倒産してしまい、最後の請求書が回収不能になっています。請求書を送ったら「宛先に尋ねあたりません」で返ってきて、調べてみたらその少し前、最後に納品した直後くらいに倒産していました。
請求すると、回収不能になったという証明が必要になります。証明しないと経理上、ずっと売掛金が残ってしまいますから。それで会計士さんのアドバイスで、「請求書を受け取ってもらえなかったんだし、請求を立てるのをやめましょう」ということになりました。倒産したところに請求したところでどうせお金は入ってこないし、もう事務所も引き払っていなくなったあとでは差し押さえみたいな話もないわけですしね。たぶん20万~30万円くらいで、取引総額に対して5%くらいでしたが、そのときは値引きしたつもりで、しょうがないと諦めることにしました。
産業翻訳は今も細々とはやっていて、通算二十数年やっていますけど、回収不能になったのはこれ1件かな。あとはちゃんと全部もらっています。仕事が終わってから値引きを要請されてとか、半額になってどうこうとかいう話もよく聞きますけど、幸いそういう経験はしていません。(次回につづく)
(「Kazuki Channel」2021/9/6より)
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◎プロフィール 井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye 翻訳者(出版・実務) 1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳も手がけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『イーロン・マスク』上下(文藝春秋、2023年)、『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)がある。 ◎インタビュアープロフィール 松本佳月(まつもと・かづき) 日英翻訳者/JTF ジャーナルアドバイザー インハウス英訳者として大手メーカー数社にて 13 年勤務した後、現在まで約 20 年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle 版、2021 年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法: パワフルに生きるためのヒント』(Kindle 版、2022 年)。 齊藤貴昭(さいとう・たかあき)Terry Saito 実務翻訳者 電子機器メーカーで 5 年間のアメリカ赴任を経験後、社内通訳翻訳に 5 年間従事。その後、翻訳会社にて翻訳事業運営をする傍ら、翻訳コーディネーター、翻訳チェッカー、翻訳者を 10 年経験。現在は、翻訳者としても活動。過去の翻訳祭では、製造業でつちかった品質保証の考え方を導入した「翻訳チェック」の講演など多数登壇。 |