日本翻訳連盟(JTF)

日本語翻訳の重要性を言語権から考える(前編)

講演者:HAL ライティングカレッジ代表、英日・日英翻訳者 豊田憲子さん

日本翻訳連盟主催の2023年翻訳祭から選りすぐった講演の抄録をお届けします。

今回は、HALライティングカレッジ代表、英日・日英翻訳者の豊田憲子さんの「日本語翻訳の重要性を言語権から考える」前編です。急速に発展する大規模言語モデル利用の中で著作権が問題となるであろうと早くから予見してきた講演者が、言語権とは何か、なぜ言語権が重要なのか、AI(人工知能)と言語権の関係、そして著作権と言語権を巡る問題がさらに広がっている現状等について解説します。

みなさん、こんにちは。本日は「日本語翻訳の重要性を言語権から考える」というテーマでお話します。まず本日の流れをご説明します。

最初にお話しするのは提言骨子です。日本語はどちらかというと稀少言語の類に入るのではないかと思っています。また、AIはいい面もあるけれども、やはり弊害もあるような感じがしております。特に今の日本のAIに関する政策などを見ていると、将来、稀少言語である日本語の品質が保たれていくのかを懸念しています。そのあたりから少し掘り下げていって、人間語対機械語と言いますか、このままでは日本語だけではなく人間語というものの存在がどうなるのか、言葉の本質とは何か、ということを根幹から掘り起こせるような話をしていきたいと思います。

続いて「言語権って何?」というところから入ります。

みなさんの中で、「言語権について詳しい」「言語権について聞いたことがある」という方はどのくらいいらっしゃいますか。「ゲンゴケン」というと、圏外とか英語圏とか、地理学的、世界地図的なイメージをされる方も多いと思います。後ほど、私が言語権をすごく切実に感じた個人的な体験をお話しますが、一般の人はともかく、私たち翻訳に関わる者には「言語権とは何か」というところをわかっていただきたいと思います。そして、「言語権って大事なんだ」ということを、ぜひともみなさんの周りの方にお話していただけるとありがたいと思います。

次に、言語権を考えるときに大事な、世界的な現状なども含めて著作権関係の動きがどうなっているかについて、私が知る限りにおいてお話をさせていただきます。

また、AIに関する世界と日本の事情について、気になる事案を少しご紹介します。さらに翻訳に関して今後、注目していきたい論点や議案をご紹介しつつ、最後に言語権って何なのか、言語権を意識すると何がどう変わっていくのかということについて、外国語、日本語の枠を超えたところで少しお話します。

●稀少言語である日本語、さらには人間語を守る責任

では、提言骨子から。昔の日本語から現在までの日本語に関しては、後ほど日本の第二次世界大戦の戦後処理のお話をしますが、そこにおいて、日本語または日本文化をリスペクトして海外に正しく広げてくれた人たちがいたのです。日本語には高い知見を十分に表せる複雑な構造やバリエ-ションがあります。もちろん日本語に限らず各民族が持つ言語にはそれぞれの高い知見があるわけですが、こうした人たちの貢献によって、翻訳を通じて他の言語と交流していくことができてきたのではないかと思います。

では将来言語はどうなるのだろうかと考えたとき、AI抜きには語れません。現在、機械言語処理やAIの利用によって、学習データの学習のしかたにもよるとは思いますが、例えば表現が画一化したり、あまり良くない使い方がフィルタリングされないまま外に出ているようなところが見受けられます。このままいくと間違った使い方が広がる危機もあるかと懸念しているところがあります。この危機感は日本語にだけではなく、全世界的に言われていることです。

いろいろな論文を見ても、出てくるキーワードが、ファクチュアリティー(正しいかどうかという事実)に基づく検証がなされてないまま拡散されていたり、ハルシネーションと言いますが、原文にないものがいきなり湧き上がってきたりしています。それからバイアスです。これは差別問題にも関わることです。このあたりが問題なのかなと思っています。こういったことを放置したままにしていては、稀少言語は駆逐されていくだろうと、そのことを恐れているところです。

では、今からどのようにしていかなければいけないのか。稀少言語である日本語を守るということが言語権であり、結局は日本語に限らず、それぞれの民族が持つそれぞれの言語、現在7000余ある言語の独自性を保つことです。

そのためには何が必要なのか。特に翻訳に関わっている私たちは、言語権を守っていく責任があるのではないか。そこをちょっと意識していただくと、明日の翻訳が変わってくるのではないかと思います。

●言語権は何人も侵害できない人権

では、ここから各論に入っていきます。

先ほどみなさんに、「言語権って聞いたことありますか」とお聞きしたところ、「ないです」という方がほとんどだったのですが、実は、「世界人権宣言」第二条にこのように定義されています(国際連合広報センター「世界人権宣言テキスト」※1)。

すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

大事なところだけ言いますと、「人種や性別、宗教、政治、社会的なポストは関係なく、すべての権利と自由を享有することができる」ということです。ですから、誰かに、「あなたはこの言語を使ってはいけない」とか「この言い方だけにしてください」とかということを、何人たりとも他人に言うことはできないということです。

私たちは言語を自由に使う――。では言語とは何かというと、私たちの考えや主張、もっと言うと生き方そのもの、存在そのものです。何人たりともその権利を侵害することはできない人権である、ということをこの世界人権宣言で説明しています。詳しくご覧になりたい方は、ぜひ世界人権宣言を見ていただくとよいと思います。

では、言語権はなぜ重要なのでしょうか。

翻訳を仕事にしている方の中にも、「翻訳って何?」と問うと、例えば、英語と日本語でも、日本語と中国語でも、単語対単語という感じで考えられている方が意外と多いのですが、単に音声や文字を並べて「置き換えました」ということではありません。では、何かというと、その言葉を発する、または文章を書く人の思想、考え、意思、主張を表すこと。一番大事なのは、その人の考え、その人の存在、権利、アイデンティティに対するリスペクトです。それがないと、その後何も出てこないということです。相手へのリスペクトが言葉や文章の本質であるということを、もちろんみなさんもご存じだとは思いますが、もう一度再確認していただければと思います。

●ガーナで実感した言語権

私は「言語権」というものを大学時代には、言葉では知っていました。しかし、「これが言語権ということなんだ」と身をもって感じたのには、次のような個人的な体験がありました。

私はアフリカの4カ国に行ったことがあり、特にガーナのイスラム圏には4回ほど行きました。ガーナでいつもホームステイしているホストファミリーがいるのですが、2005年にその家族のママに最初に出会ったときの体験です。

私はどの国に行くときにも、最低限その国の「こんにちは」「こんばんは」や「ありがとう」など感謝を伝えたり、あなたのことをリスペクトしていますよ、あなたの国を大事にしていますよという気持ちを表す言葉の「あんちょこ」を作って訪問するようにしています。ガーナに行ったときも同じように事前に日本で調べていきました。

ガーナに初めて着いた夜、迎えに来てくれた家族に、「うちのママはすごいんだ。英語もフランス語も、イスラム教徒なのでアラビア語もわかるし、ガーナの現地語も3つ4つわかるから、何語で話してもいいんだよ」と言われました。そこで、私としては一生懸命勉強して準備してきたガーナの言葉で、「こんばんは」「初めまして」と挨拶しました。

すると一瞬、ママがフリーズしたようになって、顔は一応笑っているけれど、その後の言葉が出てこない感じでした。「あれ、私の調べてきたのが違ったのかな」と思って英語で話しかけたら、一応、英語で返してくれたのですが、やっぱり一瞬、何か考えているような感じがしました。何かまずかったのかな、お母さんに何語で語りかければよかったのか、例えば「アッサラームアライクム」というイスラム教徒の言葉で話しかけたほうがよかったのか、最初に他のファミリーにちゃんと聞けばよかったのかなといろいろ考え、すごく後悔しました。

私は日本から丸1日くらいかかって、ヘロヘロになってガーナに着いたわけですけれども、お母さんがあまり私を歓迎してないような気がして、すごく心配になってしまい、部屋に戻ってから改めて、ホストファミリーが実際に使っている現地語で「こんにちは」は何と言うのか、どう言えばママに気に入ってもらえるのかをきいて、特訓してもらいました。もう夜中の2時ぐらいでしたが、勢い込んでほとんど徹夜で勉強して寝られませんでした。そして「これでお母さんに気に入ってもらえる」という気持ちで翌朝、ママの部屋に行きました。

彼女はチャンバという部族で、チャンバの言葉は日本ではほとんど紹介されていません。「カナラフィア」が「よろしく」とか「How are you?」に相当する言葉でした。それで彼女の部屋のドアを開けて、「お母さん、カナラフィア」と言おうと思ったら、その前にお母さんが「ゲンキー」と言いながら私に駆け寄ってきたんです。私は頭がフリーズしてしまいました。

なぜなら徹夜して教えてもらった語彙の中に「ゲンキー」はなかったからです。「カナラフィア」に「ラフィアラオ」と返せばいいと聞いたのに、「これは何だ?」と戸惑っていたら、ファミリーがゲラゲラ笑うんです。私は半べそだったんですけど、ママはすごくニコニコしているので、とりあえず覚えた「カナラフィア」を連発したら、ママは「ゲンキー、ゲンキー」と返してきて、全然通じていない感じなんですけど、ハグしてくれる身振りをしたので私もハグをしました。

みなさん、その「ゲンキー」って何だと思いますか。日本語の「元気」だったんですよ。でもまさかママが、私に「元気?」と聞いてくれるはずはないので、その「ゲンキー」が「お元気ですか」という日本語だとは思わなかったんですね。彼女は彼女で、日本人が来るらしいとは聞いていたけれど予習していなかったことを反省して、どう言えばよいのか、何語で歓迎すればよいのか逡巡してフリーズした感じになってしまった、ということが後でわかりました。

私が徹夜で一生懸命チャンバ語を勉強していたときに、彼女は彼女で、日本語でどう私に話しかければ喜んでくれるのか、徹夜で特訓していたらしいのです。それを聞いたとき、私は泣いてしまいました。ママは3年前に亡くなってしまったのですが、ママに会うたびに私は「アッサラームアライクム」とか「カナラフィア」と言っていたんですけれど、彼女は必ず「元気?」と言ってくれました。

この経験により、まず相手の国の言語を最低限理解するところからコミュニケーションが始まるということを実感しました。そして、相手をリスペクトする、自分の言葉を押し付けない、自分の国の考え方を押し付けないという言語権の考え方は、言葉や文章にも通じるのではないかと思いました。

●BoulderBoys の功績

今、日本語の翻訳は、海外でもいろいろ出ていますが、なぜアジアの小さな島国の言語が割と高いレベルで海外に紹介されているのでしょう。これは明治時代以降、もう少し広げて明治時代以前のオランダとの通商でオランダ語が日本に紹介され、オランダ通訳士などの貢献によるところもあるのですが、一番大きかったのは第二次世界大戦時にアメリカ海軍日本諜報活動にあたっていた兵士の貢献によるところが大きいと思われます。

みなさんは「BoulderBoys」ってお聞きになったことがありますでしょうか。戦争中は、敵国の状態を探るために敵国の言語や文化を知る必要がありますが、その諜報活動の最初に来るのが言語です。

第二次世界大戦時には、日本への諜報活動のためコロラド大学ボルダー校に「アメリカ海軍日本語学校」が設置され、そこで育てられた日本語の通訳や翻訳ができる人たちが「BoulderBoys」と呼ばれました。サイデンステッカーやドナルド・キーンが最も知名度が高いでしょうか。ほかにオーティス・ケリーなどもいます。NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」という番組で、BoulderBoysがどれだけ戦後の日本に貢献したかについて紹介されていました。

特にサイデンステッカーは川端康成のノーベル文学賞受賞に大きく貢献しました。最初は日本への諜報活動だったわけですが、その過程で日本民族や日本文化に非常に敬意を持つようになって、戦後、川端をはじめ谷崎潤一郎や三島由紀夫などを海外に紹介しました。彼らの中には戦後は他の仕事に戻った人たちもいますが、日本文学や日本文化の紹介を通じて、日本の戦後に非常に貢献をした人たちがいたんですね。

この人たちが、敵国の言葉をぶっ潰せなどと思っていたら、たぶん今ほど日本の文学や著作などが海外に翻訳で出ることはなかったのではないかと思います。このような、戦後に日本の文化や思想に深いリスペクトをもって世界に正しい形で紹介してくれた先達がいた。このことを、私たちは忘れてはいけないのではないかと思います。

※1 https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/

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