日本翻訳連盟(JTF)

「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編

第20回(番外編):2021年以降の活動、そして今、これから

「Kazuki Channel」のインタビュー以降の活動などについて、井口さんにご執筆いただきました。

先月まで、「私の翻訳者デビュー」井口耕二さん編、と題して、松本佳月さん主宰のYou Tube「Kazuki Channel」でお話しした内容が連載で紹介されました。連載の元となったインタビューが行われたのは2021年で、もう3年も前のことです。というわけで、それ以降についてなにか書いてくれと、ジャーナル編集部より依頼をいただきました。以下、編集部から寄せられた質問に対する回答を中心に、思いつくまま、いろいろと書いてみます。

■近況を(2021 年以後)教えてください。(仕事のペースの変化など)

おかげさまで、忙しすぎるくらいのペースで仕事をしています。60代半ばとそれなりの年になったので、年2冊、15万ワードくらいを基本に多くても年3冊、20万ワード強を限度にしたいと考えているのですが(産業系で年30万~45万ワードくらいの負荷に相当する)、結局、年20万ワード以上、『イーロン・マスク』を訳した2023年などは35万ワードも仕事をしてしまいました。この先についても、今年はもちろん予定が埋まっていますし、来年も2冊、予約が入っている状態です。

また最近は、翻訳以外の仕事が多い時期でもありました。2021年から2024年には日経PC21という雑誌に「スティーブ・ジョブズの残像」というエッセイを連載で書いていました。また、つい先日、『スティーブ・ジョブズ』翻訳の裏話などをまとめた『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』なる本を講談社さんから上梓しました。

余談ながら、「スティーブ・ジョブズの残像」は、一にも二にも、担当編集さんの功績です。こんな連載、ウチの読者はだれも読まないと渋られても企画を押し通し(結果として大人気連載になったそうです)、1年ですら連載を続けられるとは思えないと断るつもりだった私を説得し、そのときの約束どおり、連載のネタ探しなどでしっかり支えて、結局、3年間、書かせてしまったのですから。こういうのを編集さんっていうんだなと感じ入ってしまいました。

■これまで翻訳してきた中で、とくに思い出深いものやその理由、エピソードを教えてください。

それぞれに思い出や思い入れがあるわけですが、一番は、やはり、『スティーブ・ジョブズ I・II』(講談社)ですね。私の「代表作」と言えばこれになりますし、これを超えるものが今後出てくるとも思えませんし。

ちなみに、出版翻訳を定期的に手がけるようになったのが2005年で『スティーブ・ジョブズ I・II』は2011年。これほど早くに代表作と言えるものに出会えたのは幸運なわけですが、同時に、翻訳者としてよかったのか悪かったのかと思わないでもありません。いまならもっとうまく訳せるのに……と思ってしまいますから。

『スティーブ・ジョブズ I・II』は結果として22万ワードを3カ月で訳すという超過密スケジュールだった上(産業系なら15万ワード/月くらいに相当)、その後の編集など仕上げの期間が7週間から3週間に削られるというおまけまでついていました。気力・体力ともに限界で、最後は吐き気をこらえながら仕事をしていた始末です。このあたり、詳しくは『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋』に記録してあるので、興味のある方はそちらを読んでいただければと思います。

あとは、『PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(文響社)ですね。とてもいい仕上がりになったと個人的に思っている本です。アマゾンにたくさんのレビューがついているのですが、翻訳に言及しているものがほとんどないのも、翻訳であることを忘れて読んでもらえているらしくてうれしい点です(「いい翻訳だ」も含めて翻訳への言及はないほうがいいと思っている)。

■(2021年以降の近況に関連して)イーロン・マスクの評伝について。翻訳を引き受けることになった経緯、翻訳で工夫されたこと・苦心されたこと、訳本の手ごたえ(訳者として受賞されていることも含め)などを教えてください。

『イーロン・マスク 上・下』(文藝春秋)は、『スティーブ・ジョブズ I・II』と同じ著者で、同じように超過密スケジュールのプロジェクトでした。私のところに話が来たのは2023年になってからで、原稿が届く予定の少し前でした。超過密スケジュールでもクォリティを確保できる翻訳者としてお声がかかったのではないかと想像しています。

『スティーブ・ジョブズ I・II』は前年が忙しく、少し休むつもりで納期を長くくれと要求して案件が流れるなどしていたことからスケジュールが空き気味だったので、無理やり押しこむことができましたが、『イーロン・マスク 上・下』はスケジュールが詰まっていて断るしかない状態でした。なので、先約の出版社さんに後ろ倒しをお願いして割り込ませました。身勝手なお願いを聞いていただいた先約の出版社さんのおかげで、なんとか担当できたわけです。

それにしても……『スティーブ・ジョブズ I・II』は過労死寸前という働き方になり、世界同時発売なんて話は一度で十分、いや、二度とやらないと思ったのに、結局、またやることにしてしまったわけです。こういうとき、「なんとかするにはどうすればいいか」とまず考えてしまうので、半分は性格というか自業自得というかなのでしょう。実際、そういう働き方を、1999年(産業翻訳者として独立した翌年に大きなマニュアルを企業から元請けした)、2011年(『スティーブ・ジョブズ I・II』)、2023年(『イーロン・マスク 上・下』)と10年おきくらいにくり返していたりしますし。

工夫した点は、イーロン・マスクの口調を生かすため、セリフはもちろん地の文もかなり崩した日本語にする、です。その結果、いわゆるビジネス書とはかなり異なった雰囲気になっていて、否定的な評価も多いように感じられますが、そうなるとわかっていても、あの本、あの原文なら、時間をたっぷりもらってやり直しても、やはり、いまのような訳し方になると私は思っています。

『スティーブ・ジョブズ I・II』は、最後に仕上げの期間が7週間から3週間に減らされ、いろいろとあきらめざるをえなかった工程があります。これは、当然、品質にも影響があります。対して『イーロン・マスク 上・下』は過密ながらスケジュールの変更はありませんでしたし、『スティーブ・ジョブズ I・II』で経験値が上がっていましたしで、やるべきことはすべてやって仕上げることができました。すごく満足のいく仕事になったと思っています。

■現在、興味を持っていることを教えてください。

「わがままに生きる」ですね。実は翻訳者として独立したとき、「60代はわがままな翻訳者になる」を長期目標に掲げました。やりたい案件をやりたい量だけやる……そんな翻訳者になるんだ、と。そのためには力が必要です。だから、40代はがむしゃらに仕事をして力をつける、50代は、60代に向けて取捨選択を進める、と考えました。60代半ばになったいま、その目標はほぼ達成できていると感じています。「やりたい量だけ」がちょっと難しくて、もう少し減らしたいと思い続けてはいますが、これに文句を言ったら、それこそ罰が当たるでしょう。

具体的には、自転車とクラフトビールと自然、でしょうか。というわけで、自転車のレースやイベントであちこち行くときその地元のクラフトビールを探して飲む、なるべく自然に浸る生活をする、というようにしています。最近は足の調子がよくなくて自然の中を歩き回るのは難しくなってしまいましたが、幸いなことに山の家がありますから、自然に浸るのは無理なくできます。家から一歩出て、林の中でご飯を食べるとか。自転車も、山の中を走るのを基本にしています。

■自転車競技について。現在、自転車のトレーニング、レース参加はどのようなペースでされていますか。自転車をやっていることで、仕事へのよい影響はありますか。差支えなければ、競技成績についても教えてください。

トレーニングは週六日(1日は休足日。きちんと休むのもトレーニングなので、そういう意味では週七日とも言える)。この出力で×分、続けてこの出力で×分といったトレーニングメニューがパワートレーニングのコーチから送られてくるので、それが中心です。ほかに、スキル系のコーチにもついて、自転車の乗り方を教えてもらっています。おかげでずいぶんと上手になり、テクニカルな難しいコースのほうがいい成績になる傾向にあります。

レースは、6月のニセコクラシックと11月のツール・ド・おきなわが年間2大目標です。

ニセコクラシックは年代別(5歳きざみ)の表彰台が目標で、実際、過去に2回、3位の表彰を受けました。つい先日行われた今年のレースでは、直前に飛び出してきた猫を避けられずに転倒し、鎖骨と肋骨を折ってしまった影響で表彰台は逃してしまいましたが、UCIグランフォンド世界選手権の出場切符は確保できたので、秋にはデンマークへ遠征することを計画しています。

ツール・ド・おきなわは、いま、「アマチュアロードレースの甲子園」と言われる市民200kmに参戦しています。こちらは全年齢で競いますし、アマチュア最高峰のハイレベルな大会なので、順位ではなく、制限時間内に完走することを目標にしています。

そのほか、年代別設定があるものを狙ってレースに出ています。先日5月にあった100kmチャレンジ耐久レースでは60代クラスで優勝しました。

■コロナ禍およびコロナ以降、仕事や心境面でどんな変化がありましたか?

特にありません。もともと出歩くことの少ない仕事ですし、仲間ともオンラインでのつながりが中心で来ていますから。多少の閉塞感はありましたし、リアルに会うからこそ得られる情報というものもあって、そこがなくなったり、いまなお減ったままであるのは残念ですが。

■翻訳者になってよかったと思いますか。その理由は?

すごくよかったと思います。人生をやり直せるとしても、また、同じ道を歩きたいと思っているほどです。

一番は、努力や工夫の成果が自分にはね返ってくるところ、でしょうか。会社員だと、さんざ反対したプロジェクトを会社としてやることになり、「担当はきみね」なんてこともあります。翻訳者なら、なにをするにせよしないにせよ、自分で決められます。そして、その決断の結果は、良きにつけ悪しきにつけ、自分に返ってきます。それだけに、工夫のモチベーションが上がりますし、それがうまくはまればとてもうれしく思います。

■ベテラン翻訳者となって、当初と変化したことや意識があれば教えてください。

ありません。私は、すごく運のいいことに、この世界に入った当初、翻訳フォーラムでいろいろと教えてもらって方向性を定め、そのままずっとそちらに向けて歩き続けるという形で来れていますから。独立当時からの友人にも「井口さん、ほんと、ぶれないよね」と言われるほどです。

■翻訳者として大事にしていることを教えてください。

翻訳とは言葉の向こうにいる書き手を訳すもの。
一に品質、二に品質、三、四がなくて五に効率。
原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。
スキルアップは薄紙を重ねて塔を作るようなもの。
練習は裏切らない。

■機械翻訳についてどう思っていますか?

一個人としては、かなり進歩した、自分の知らない言語でなにが書いてあるのかをなんとなくつかむには使えるくらいにはなった、です。

一翻訳者としては、誤解を恐れずに言えば「私には関係ない」です。翻訳者になってから、翻訳メモリーや機械翻訳などとできるかぎり距離を置くように、そこからなるべく遠くで仕事をするようにと道を選んできたからです。

翻訳者として大事にしていることとして、「一に品質、二に品質、三、四がなくて五に効率」というモットーをさきほど挙げました。翻訳とはそういうものだというのもありますし、こういう方針で仕事をしたほうがおもしろいというのもあります。さらに、この方向で高く評価されるようになれば、金銭的なことも含めていい条件で仕事ができますし、機械翻訳の発達などで業界が変化して翻訳者が減らざるをえない事態になっても、最後まで残ることができます。「翻訳者として最後のひとりになる」をめざしてきたと言ってもいいでしょう。そして、最後のひとりになれるレベルかどうかはわかりませんが、最後のほうのひとりになれるくらいにはなれたと自負しています。そういう意味で、「私には関係ない」わけです。

■訳文の表記について。「私の翻訳者デビュー」で、「~のとき(時)」の表記をひらがなでひらくなどのご指示がありましたが、訳文表記についてのポリシーや考え方を教えてください。

せっかくですから、いま、実際の仕事で担当編集さんにお渡ししている原則から一部を抜粋してご紹介しましょう。これが正解というやり方はないので、あくまで私の方針ということになります。

まず大原則として、表記は統一すべきものとしなくていいものがあると考えています。積極的なメリットのないところまで統一するのは統一のための統一であり、時間と労力を費やしたあげく入力ミスが混入するなど質が下がることさえありうるとも。

●数字

算用数字を使うパターンを原則としています。縦書きにおいては、一桁全角、二桁半角、三桁以上は全角。

ただし、漢字が原則である言葉のほか、以下のようなケースは漢数字かひらがなを使います。

「ひと」「ふた」など、訓読みは漢数字かひらがな
ひとつ、ふたつ、みっつ/三つ、四つ、……九つ、十、11、12……
ひとり、ふたり、3人、4人……
一日(ついたち)、1日(いちにち)
一月(ひとつき)、1月(いちがつ)
度量衡はメートル法に換算、貨幣は原文ママ。

●カタカナ表記

外来語や、固有名詞など外国語のカタカナ表記で、揺れがあるものについては、以下を原則としています。

  1. 日本で対応する固有名詞が正式にあるものはそれに従う。当該企業の日本法人が使っている、著書の翻訳が出ていてその著者名に使われている(検索で引っかからないとまずいので)など。
  2. 慣用として定まっていると判断したものはそれを優先する(ラジオ、ブレーキ、ベートーベンなど)。最近のものについては、新聞、雑誌など、紙媒体もある大手が使っているパターンを優先する。
  3. 「ヴ」は、上記以外のケースでは基本的に使わない(カタカナは日本語ですし、v音だけ日本語で使わない音を表記しても意味がないと思うので)。同様に、中黒は、以下のケースではなるべく少なくする。語末の音引きはアリを基本とする。
  4. 語としての慣用がないものについては、原音に基づいて表記を考える。原音は、(人名なら)本人が発音している、大手ネットワークのキャスターが紹介している、大きなイベントで司会者が紹介している、よくわからないイベントで司会者が紹介しているの順に優先する。

●「」と文末の処理

以下を基本としています。

  • 「」だけの段落とする。
  • ~に「……」とたずねてみた。

「……。」や「……」。というパターンは使わない。閉じカッコの次に新しい文がそのまま続く形も使わない。

●漢字・かなの使い分け

表記は統一すべきものとしなくていいものがあると考えています。以下、たとえば「かな寄り」というのは、かなを原則とするが、前後関係などから漢字にすることもある、の意です。

全体としてひらがな寄りにしています。本を読み慣れていない人にも読みやすくするためです。

  • 大原則

名詞、接続詞は、漢字にせよかなにせよ、表記を統一します(せりふなど、例外もありえます)。それ以外は、前後が漢字ばかりならかな、かなばかりなら漢字と揺らすケースがあります(本多勝一著『日本語の作文技術』第5章「漢字とカナの心理」)。

漢語は漢字、和語は漢字あるいはかな
名詞は漢字寄り
形容詞、接続詞などはかな寄り
常生活でよく使うものはかな寄り
複合動詞は、後ろを開き気味。

漢字は、基本的に常用漢字の範囲とし、常用漢字表外の漢字は基本的にルビを振るようにしています。
文脈なしで見せられたら読めない人がそれなりにいそうな漢字は、開く、ルビを振るなどしています。
ルビは、基本的に毎回振りたいと考えています(前のルビを覚えておけというのは読者にいらぬ負担をかけるから)。

せりふはしゃべった人と場面に応じて変えるので、地の文とは異なる使い分けをしているケースがあります(性格や教育程度を考慮して調整するなど。あと、子どもはかな寄りなど)。同じ人のせりふで揺れているのは、統一ミスの可能性と、語りかけている相手に応じた使い分けの可能性があります。

●ん音便やら抜き言葉など

本に応じて以下のように使い分けています。使い分けは、柔らかめに振る方向で。こちらも、本を読み慣れていない人にも読みやすくするためです。

  • 使わない
  • しゃべった言葉(カッコがついていないケースも)では使う、地の文では使わない
  • 地の文も含めて使う

●「?」「!」などの後ろ

そこで文が終わるなら全角アケ、文が終わらず続くなら「全角アケなし」にしています。

■これからの翻訳業界に希望することを教えてください。

私が翻訳業界に入ったころは、翻訳メモリーが登場し、業界に大変革が起きると言われた時期でした。そして、実際、大きく変わりました。正直なところ、翻訳メモリーや翻訳メモリーを搭載したCATツールを使えばマイナスになるという部分にまでそのようなツールが広がるというところまで変わってしまいました。

そして、こんどは機械翻訳です。いい悪いとは関係なく、経済原理から、また同じような変化になるのだろうなと予想しているのですが、そのなかで、字面を訳すのではなく、書かれている内容を訳す翻訳、さらには、原文の向こうにいる原著者を見て訳す翻訳がきちんと評価される世界がそれなりの割合、残ってほしいなと思っています。

矜持と志のある翻訳会社には、若手が成長する道を残す努力をしていただきたいなとも思っています。我々ロートルは、もうあとン年もしたらいなくなります。そのとき、いま駆け出しの若手から本当の意味で翻訳と言える翻訳ができる人が育っていなければ悲しいことになってしまいます。

■読者(翻訳者など)に向けてメッセージのほか、伝えたいことがあればお願いします。

では翻訳者の方々に向けて、少し書かせていただきます。私自身が翻訳者ですから。

仕事は楽しいですか? 自分のやりたいことができていますか? いましているのは、自分がやりたいと選んだことですか? それとも、どこのだれともわからない「みんな」が最近の仕事はそういうものだと言うからしかたないと請けた仕事ですか? 「なりたい自分」につながる仕事ですか?

今回の記事でも触れていますが、いま、翻訳業界は大きく変わりつつあります。今後は、翻訳メモリーやCATと同じようにコストダウンの口実として広まるのだろう、機械翻訳を導入したからウチは安いですよ、だから買ってくださいと言えるようにと、どんどん広がっていくのだろうなと思います。最終的な翻訳成果物の質がどうなるのか、新しい翻訳者が成長していく道が残るのかなど気にする翻訳会社も多少はあるはずですが、そういうところも、そのうち、背に腹はかえられないと流されていく……そういうことになるのではないかと。

そのなかでどういう自分になりたいのか、そのためには、いま、なにをすべきなのか、よく考えて道を選んでください。先のことなどだれにもわかりません。よく考えて選んでも、失敗したと後悔するかもしれません。それでも、流されて失敗したと後悔するのに比べたらまだしもでしょう。自分という船の舵は自分が握る。それがすべての基本であり、一番大事なことだと私は思います。

みなさんの人生がよい航海となることを祈念しています。

←第 1 回:翻訳者としての基礎をつちかった小中高時代

←第 2 回:スケートに明け暮れ、長い大学生活を経て就職

←第 3 回:会社からアメリカ留学、最初の3カ月は苦労の連続

←第 4 回:英語漬けで猛勉強したアメリカ留学から帰国

←第 5 回:会社員と二足のわらじで翻訳者への第一歩を踏みだす

←第 6 回:育児問題をきっかけに専業への道を考え始める

←第7回:専業翻訳者になるために取引先と分野を広げる

←第8回:会社を退職して専業翻訳者になる

←第9回:専業翻訳者としての基本方針を決めて開業

←第10回:選択と集中―「やること」と「やらないこと」を決める

←第11回:超大型案件に忙殺された一年

←第12回:多忙な日々でのオンとオフ、時間とお金の使い方

←第13回:書籍『実務翻訳を仕事にする』を出版

←第14回:JTFの理事に就任。仕事場を再び自宅へ戻す

←第15回:出版翻訳をてがけ始める。リーマンショックでは大きな打撃

←第16回:「高品質高単価」を維持するために

←第17回:スティーブ・ジョブズの公認伝記を翻訳

←第18回:出版翻訳主体に舵を切る

←第19回:自転車トレーニングを始めたきっかけとその効用

◎プロフィール
井口耕二(いのくち・こうじ)a.k.a. Buckeye
翻訳者(出版・実務)
1959 年生まれ。東京大学工学部卒業。オハイオ州立大学大学院修士課程修了。大学・大学院の専門は化学工学。大学卒業後は大手石油会社に就職、エンジニアとしてエネルギー利用技術の研究などをしていた。会社員と翻訳者の二足のわらじを経て 1998 年にフリーランスとして独立。守備範囲は医薬生物を除く工学全般およびビジネスの英日・日英。翻訳作業は自作の翻訳支援環境 SimplyTerms(公開)で行う。 2005 年からは出版翻訳もてがけている。翻訳フォーラム共同主宰。2002~2016 年 (社)日本翻訳連盟(JTF)理事。かつてはフィギュアスケートの選手(シングル、アイスダンス)で、現在は自転車ロードレースにはまっている。訳書に『イーロン・マスク』上下(文藝春秋、2023年)、『スティーブ・ジョブズ』I、II(講談社、2011 年)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経 BP 社、2010 年)、『リーダーをめざす人の心得』(飛鳥新社、2012 年)、『PIXAR』(文響社、2019 年)、『ジェフ・ベゾス』(日経 BP 社、2022 年)など、著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社、2001 年)、共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル 4 人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016 年)、『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(講談社、2024 年)がある。
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