「私の通訳者デビュー」古賀朋子さん編
第3回:大学院卒業後、アラバマの自動車工場の社内通翻訳者に
フリーランス日英同時通訳者、古賀朋子さんの「私の通訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYouTube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、6回連載で紹介します。第3回は、2年間の猛勉強の末にカリフォルニアの大学院を卒業し、アラバマ州の自動車工場に社内通翻訳者として勤務することになった経緯を中心にお話しいただきました。
(インタビュアー:松本佳月さん、酒井秀介さん)
●社会人経験をしている方がいい
酒井:大学時代に古賀さんが先生に聞かれたように、例えば誰かに「通訳になりたいんですけど、どういうルートがいいですか」と聞かれた時に、今の古賀さんはどう答えますか。
古賀:大学院がいいと思います。
酒井:社会人経験を挟みますか。
古賀:挟みます。
松本:私も、学生からいきなり通訳学校なり大学院に行くのと、ちょっとでも社会人経験をしているのとでは、やっぱり全然違うんじゃないかなと思います。翻訳も一緒ですけど。
古賀:そうですね。通訳コースの同じクラスに、社会人生活をせずにアメリカの学部からそのまま上がってきた人と、日本の大学から直だった人と2人ぐらいいたんです。
松本:それは日本人ですか。
古賀:そうです。やっぱり大変そうでした。一度社会に出て、「こういうふうに社会って回っているんだな」と分かっているのと分かっていないのとでは全然違うんですよね。
松本:TOEICなども、社会人経験をしている人のほうが点数を取りやすいんじゃないかなと私は思っています。
古賀:そうかもしれないですね。
松本:私がTOIECを受けたのはずいぶん昔ですけど、例文などにオフィスの中の話が出てきたりすることは割とあったので。学生をずっとやっていると分からない問題もあるんじゃないのかなって、その時に思いました。
古賀:イメージしにくいかもしれないですね。
●大学院を修了すると1年間の就労ビザが出る
松本:大学院は何年行ったのですか。
古賀:2年です。濃い2年でした。
松本:寮に住んでいたんですか。
古賀:寮はなくて、自分で住居を探さなくてはなりませんでした。たまたまアメリカ人の女性が住んでいる一軒家で、彼女はほぼ2階で生活していて、1階を学生に貸している人がいたんです。下に2部屋あり、1部屋に私がいて、もう1部屋に同じく通訳翻訳コースだけれど韓国語のコースを取っている学生が住んでいて、という3人暮らしをしていました。
松本:それで、そろそろ卒業という頃に、日本に帰ってどうしようと考え始めたんですか。
古賀:日本に帰る気は全然なかったんです。
松本:そうなんだ。
古賀:アメリカでは、大学とか大学院をちゃんと修了すると1年分の就労ビザ、OPT(Optional Practical Training)がもらえるんです。そのOPTのビザでまずは就職して、途中から自分が勤めた会社にスポンサーをしてもらってグリーンカードを取ろうとする流れがけっこう一般的でした。
私も例に漏れずそうだったんです。ただ、自分で言うのもなんですけど、2年間、本当にすごく勉強して、なんかもう疲れ果てちゃって、「アメリカで就職したいけど、就職活動どうしよう」と思っていました。
そしたら、ある自動車会社の子会社が、その自動車会社の各工場に通訳者を送っている会社なんですけど、うちのキャンパスに来て翻訳テストを一斉にやっていたんです。キャンパスにいながらにして一次の翻訳試験を受けられる仕組みで、私を含め何人も受けていました。その試験に受かり、次は、その会社があるカリフォルニアのトーランスに面接兼通訳テストをしにいく流れになっていて、そこに行って受けました。
それも受かったんですけど、その状態で、私は友達と卒業旅行をしていて、ラスベガスとかユタ州あたりをうろうろしていたんです。そうしたら電話がかかってきて、「オハイオの工場にポジションがあるんですけど、試験を受けませんか」と言われました。でもそれが卒業旅行の日程にかぶっていたので、断ったんです。断った時点で、もうその話は終わったかなと思っていたら、もう少ししてから、今度は「アラバマ工場に空きがあります。試験を受けませんか」と連絡が来ました。それで「アラバマかあ」と思って……。
松本:モントレーにいたのにね。
古賀:そもそもアラバマに対する知識も、最初はなかった気がします。「アラバマって南部だよね」とか思うほどでしたので。
飛行機代や宿泊費を出してくれて、アラバマ工場に面接に来るように言われました。それで「実際に見てみないとアラバマがどういうところか分からないしな」と思って、とりあえず行ったんです。そうしたら受かって、「どうしますか」と言われた時に、また“めんどくさい症”が発症しちゃって、「もう、いいじゃん」って。
松本:わざわざ行ったしね。
古賀:そう。「じゃあ私、ここを蹴ってこの後なんかあるの? どこか受けようとしてるところあるの? 特に何もしてないし……」と思って、結局入っちゃったんです。別に悪いことでもないんですけど。
松本:それでアラバマ州に引っ越したわけですね。
古賀:そうなんです。
酒井:客観的なところを聞いておくと、通訳になりたい気持ちがあり、モントレーの大学院に入って通訳を2年間必死で勉強した。そして、通訳というポジションに就いたわけですよね。その時に「やったー!」とかいった気持ちではなく?
古賀:いや、それはありましたよ。もちろん、すごく嬉しかったです。
松本:ただアラバマという土地を知らなかったという一抹の不安があったっていう感じですか。
古賀:そうですね。カリフォルニアとは文化的にも全然違うし、アジア人というだけで目立って指差されたりするような土地柄だったので。
松本:日本人も少なかったんじゃないのかな。
古賀:日本人はその自動車会社に駐在の人が100人ぐらいいて、自動車会社があると当然サプライヤーとかも集まってくるので、サプライヤーの日本人の駐在の人とその家族がいて、数百人ですかね。州全体ではもっといたと思います。南部の州は学費などをけっこう安くして、留学生を集めたりしていたらしく、アラバマの私が住んでいたのとは別の、大学がある地域に大学生などがポツポツいたみたいです。
●アラバマの自動車工場に通訳翻訳者として入社
松本:そこの会社で通訳も翻訳も両方やったわけですね。それは誰に対しての通訳ですか。
古賀:100人ぐらい駐在の人がいて、中には英語を喋る人もいるんですけど、ほぼほぼ喋れない人が多くて、主にその人たちと現地の人との間のやり取りです。
松本:それは古賀さん1人だけ?
古賀:私を含めて5人いました。私はたまたま新機種の部門に最初配属されて、これから開発していく車の機種の話を主に通訳していました。
松本:入った時点で、車についての専門知識とか技術的な知識については、どんな感じだったんですか。
古賀:ゼロです。特段、車に興味があったわけではなく入って。だから、当然、全然分からなくて。でも、初日からいきなり、「じゃあこれやってみる?」と言われて、同時通訳をやったんですよ。
「うわっ、分かんない」と思いながら、車の部品名など聞き慣れないけど、聞こえた感じで、カタカナというかそのままの音で言ったりしていました。もちろん、同時通訳だから、あんまりどうしようもなく分からないところは飛ばして、分かる範囲で言っていくしかないのですが、一生懸命やりました。念のため、隣に同じ部署の駐在の人が座ってくれて、たまに「今の○○ですか?」とか聞きながらやってはいたんですけど、同時通訳なので、そんなに聞いている余裕もなかったです。
そんな感じで1時間ぐらいの会議が終わって、自分の部署に帰ったら、その部署のアメリカ人のトップが「Hey, you rock!」と言ってくれて、びっくりしました。
なぜかと言うと、その時の自分の出来を客観的に見た時に、自分では「大学院の先生だったら、もうダメ出しされまくるレベルだな」と思っているわけです。「うわ、全然分かんなかった」と思って帰ってきたのに、「You rock!」って親指立てて言われたので、「えっ、これ、大丈夫なの?」と思って。けっこうカルチャーショックでした。
●大学院の通訳コースの実際
酒井:ちょっと時代を戻しますが、2年間の大学院生活というのは何年頃の話ですか。
古賀:2002年から2004年です。
酒井:今とは時代背景も違いますけど、それはどういう2年間だったんでしょうか。つまり、そこに入って2年間勉強して卒業する方は、どれぐらい勉強して、どれぐらいのことを身につけて出るんでしょうか。
古賀:カリキュラムの組み方などが今はたぶん違ったり、私の時代にはなかったローカリゼーションなどが生まれたりしているようなので、当時と今とではちょっと違うところがあることをお伝えしたうえで、私の時の話をします。
まず1年間はみんな同じクラスを取ります。通訳も翻訳もやります。1年経った時点で、通訳をやり続けたい人は試験を受けるんです。
私たちのコースは、通称T&Iと呼ばれていました。TranslationとInterpretationでT&Iなんですけど、通訳をやる中にもいくつか枝分かれしていて、私が行ったのは会議通訳のコースです。だからTとIのどちらに寄っているかと言えば一番I寄りのコースでした。その次に、Iもやるけど、Tもそこそこやるコース、その中でももっと細かく言うと、T&IのI寄り、T&IのT寄りみたいなコースがありました。それから、Tだけ、つまり翻訳のみを学ぶコースもありました。
翻訳のみのコースの人は通訳の試験は受けなくていいんですが、それ以外の人は1年経った時点でみんな通訳の試験を受けます。一番I寄りの会議通訳のコースは、この試験に受からないとそのコースに行けなかったんです。私たちの学年は12~14人ぐらいだったと思うんですけど、私を含めて3名が会議通訳コースに行きました。会議通訳コースに行くと、当然、通訳の授業がすごく多かったです。私は自分が取りたくて翻訳も聴講していました。
どれぐらい勉強していたかというと、起きている時間は、ほぼ勉強ですよね。仮にテレビを見ていたとしても、それも勉強じゃないですか。
松本:現地のニュースを見るなり、ドラマを見るなりしてもね。
古賀:でもテレビはそんなに見てなかったです。「フレンズ」という私の大好きなドラマがあって、勉強にもすごくいっぱい使ったんですけど、たしか、サンクスギビング(感謝祭)の休みに授業がないのでちょっとのんびりして、その時に「『フレンズ』のエピソードをリアルタイムで見られる!」と思ってすごく嬉しかったのを覚えているので、普段本当にあまりテレビを見ていなかったと思います。
松本:講師は、日本人の先生もアメリカ人の先生もいるんですか。
古賀:はい。
松本:同時通訳も逐次通訳も両方、バランスは同じぐらいですか。
古賀:そうですね、両方ありました。(次回につづく)
←第1回:大学在学中のボランティア通訳がきっかけ
←第2回:秘書兼翻訳者、英会話学校講師を経て、アメリカの大学院へ
◎プロフィール 古賀朋子(こが ともこ) 日英同時通訳者 千葉県生まれ。神田外語大学外国語学部英米語学科を首席卒業(GPA:3.95)。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)通訳翻訳学科にて会議通訳修士号取得。大学在学中から秘書兼翻訳者として勤務。英会話学校で講師、主任講師を歴任。大学院卒業後はアメリカのアラバマ州の自動車工場にて通訳翻訳者として勤務。帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業にて通訳翻訳者を務める。社内通訳者歴15年。2020年からフリーランス通訳者として活動。共著に『同時通訳者が「訳せなかった」英語フレーズ』(イカロス出版)。趣味は旅行、BTS、韓国語学習。 ◎インタビュアープロフィール 松本佳月(まつもと かづき) 日英翻訳者/JTFジャーナルアドバイザー インハウス英訳者として大手メーカー数社にて13年勤務した後、現在まで約20年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle版、2021年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法:パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022年)。 酒井秀介(さかい しゅうすけ) 通訳者/翻訳者向けの勉強会コミュニティ「学べるカセツウ」を主催。辞書セミナーや英文勉強会などスキルアップ関連をはじめ、キャリア相談、実績表やレート設定等のコンサル、目標設定コーチング、交流・雑談会、カラダのメンテナンス、弁護士や税理士相談会等、通訳翻訳以外のテーマも幅広く開催。詳細はXアカウントhttps://x.com/Kase2_Sakaiを参照。 |