日本翻訳連盟(JTF)

AI翻訳があるのに、なぜ英語を学ぶのか?(1)

講演者:厚木市立鳶尾小学校 総括教諭 成田 潤也さん

日本翻訳連盟主催の 2025 年翻訳祭から選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回から3回に分けて、厚木市立鳶尾小学校総括教諭の成田潤也さんによる「AI翻訳があるのに、なぜ英語を学ぶのか?」を紹介します。AI翻訳が日常に浸透する現代において、英語教育の目的や方法をどう見直すべきか。長年にわたる小学校での現場実践と研究に基づいて、AI時代の言語教育の本質を考えていきます。

●小学校の外国語教育に携わってきた立場から

成田潤也と申します。今日は「AI翻訳があるのになぜ英語を学ぶのか」というかなり大上段なテーマになりますが、長らく小学校教員として外国語教育を担当してきた私が、今どんなことを思って、どんな授業をしようとしているのかということをお伝えできたらと思います。

まず自己紹介をします。神奈川県厚木市で公立小学校の総括教諭をしております。現職として15年、教員を経験した後に、現職派遣という小学校教員の立場のまま大学院の学生を2年間やりました。修士号を取得してまた現場に戻ってこようとしたのですが、神奈川県教育委員会の指導主事になるように言われて県教育委員会で3年間勤め、2022年度から現在の勤務校に赴任しています。現在は学級担任を持たずに教務主任として学校全体のカリキュラムのマネジメントなどを担当しています。

専門は小学校外国語教育で、長らく実践、発信を続けてきております。特に、AI翻訳というものに出合って、これはすごく大きな時代の変化が起きると確信し、それを前提とした外国語教育がどうあるべきかということを、発信させていただいております。

『マンガでサポート! 他教科コラボの ChaChat 英語:英語が苦手!?な担任でも創れる小学校外国語活動』(学芸みらい社)

2024年5月に、『マンガでサポート! 他教科コラボのChaChat英語:英語が苦手!?な担任でも創れる小学校外国語活動』(学芸みらい社)という本を出版しました。この本には、自分の考えももちろん載っていますけれども、実際そういう授業をどうするべきかという実践の部分に大半のページを割いています。本日は、この本を書くに至った私の考えを共有させていただこうと思います。

また、講演活動もしており、直近の大きなもので言いますと、2024年2月に行われた第7回自動翻訳シンポジウムでシンポジストとして登壇させていただきました。研究者、大学の先生、そして小学校教員の私という非常に面白い組み合わせで、小学校教育の代表者として発信させていただいたところです。その内容にちょっとプラスアルファをした形で今日はお話をしようと思います。

翻訳業務に携わっている参加者の方々にとっては当たり前のこともお話をするかと思います。ただ、そこを理解した上で実践をしようとしている小学校教員が確かにいるのだということを、ぜひわかっていただきたいと思っております。

●外国語教育の在り方を国も議論

では本題です。「AI翻訳がこれからどんどん性能が良くなっていくんだから、外国語(英語)を勉強する必要は無くなるんじゃないですか?」という問いは、子どもたちから出てきて当然だろうと思います。

この問いに対して、「確かにそうだよね、しなくていいよ」というふうに迎合するのも違いますし、そんな疑問はどうでもいいからとにかく英語を、単語を覚えなさいというふうに焚きつけるというのも、何か不誠実な感じがします。私たち教員は、今のデジタルネイティブ、AIネイティブの子どもたちに対して、この問いにきちんと正対していかなければいけないと思っているところです。

令和6(2024)年12月に文部科学省の中央教育審議会から「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」という諮問がありました。さまざまな教育課題に対する諮問が出された中で、外国語教育は1つの項目を立てて取り上げられています。

内容としては、「外国語教育について、小学校高学年の外国語科を導入する等、小学校から高等学校まで大幅に充実がなされた中、生成AIの活用も含め、今後の在り方をどのように考えるか。また、手軽に質の高い翻訳も可能となる中、外国語を学ぶ意義をどのように考えるか」という諮問がされています。

つまり、外国語教育の大きな転換点に今いるのだということが、国のこの諮問からも窺えるわけです。この問いに対する答申は2026年に出されるということで、今、審議の真っ最中ということになりますが、では向こう1年間、答えを待っていてよいというわけではなく、この問いに対して自分なりの解を出しながら実践に当たっていかなければいけないと思っています。

その審議会の参考資料にあるように、AIの活用による英語教育強化事業に、なんと6億円という非常に高額な補正予算額(令和6年度)がついて取り組まれることになっています。AIをうまく活用していきながら児童生徒の英語力を伸ばしていこうという取り組みなので、当然この取り組みは必要だと私も考えています。どんなに理想論を並べたところで、やはり実績、成果が見えないと、それはただの机上の空論でしかないわけですから、こういった効果があるということを実証することは非常に重要な取り組みだと考えています。

ただ、これはあくまで「いかに知識、技能を高めるか」というHOWの部分についての施であって、「なぜ学ぶのか」というWHYの答えになっていません。

●AIの現状と可能性をフラットに捉える

私が今回皆さんと共有したいのは、このHOWの部分ではなく、WHY、「なぜこれをするのか」という問いの部分です。

この問いを考えていくにあたって、まず私自身の基本スタンスをお話ししようと思います。大きく3つあります。

1つ目は、外国語教育における生成AIやAI翻訳利用が否定されるというならば、算数や数学教育における電卓、スプレッドシート利用や、労働における車、洗濯機等の利用も否定されなければならないはずですが、現実はそうなっていませんから、否定すべきではないだろうと思っています。もし、外国語学習におけるAI翻訳や生成AIの活用を否定するというのであれば、自分の下着は洗濯機を使わずに手で洗っていただきたいと思います。

2つ目に、ICT(情報通信技術。生成AIやAI翻訳を含む)で今できないことを、鬼の首を取ったように非難する向きがあります。「こんな間違いをする」「こんないい加減なことを言う」「こんなこともできない」などです。けれども、その課題は明日には解決されている可能性が非常に高い。実際にAI翻訳も、数年前には全くちんぷんかんぷんな訳だったものが、今ではすっかり翻訳できているという現実があります。ですから拙速な非難はしない方がいいと思います。数年後に、「あの人はあの時あんなことを言っていた」と後ろ指をさされる可能性があります。

そして3つ目。ICTでできることがわからない人、あるいはわかろうとしない人には、「人間にしかできないこと」、あるいは「人間こそがやるべきこと」もわかり得ないだろうと思っています。実際に今、人間にしかできないことと言われていたクリエイティブな領域すら、生成AIは食いつぶし始めています。すべてがAIに代替されるとは思いませんが、0だったものが1になるという大きなパラダイムシフトが起きている中で、「人間らしさというのはクリエイティブな側面なのだ」という言説も、ちょっとそれだけでは説得力に欠けると思います。ですから、人間らしさということを語るためにも、「AIに何ができるのか」ということをきちんと知っていなければならないと思います。

●「アンチAI」への疑問

外国語教育に特化した「アンチAIあるある」の3つの例を挙げましょう。次のような意見で、「AIを使うのはおかしいんじゃないか」と否定的に捉える向きがあります。

まず、「AI翻訳機が壊れた時、どうするのか」、あるいは「災害時にコミュニケーションを取るためには英語が必要じゃないか」という状況限定の反論です。

災害がそう頻繁に起きるわけではありません。起きないとは言いませんが、起きることはまずほとんどない。ほとんどない状況限定で全国民を、AIを使わない英語教育に駆り立てるというのは、ちょっと説得力に欠けるだろうと思います。

それから、「翻訳機が壊れた時はどうするんだ」という声がありますが、今、子どもたちは自分自身の端末を1人1台持っています。学校でも、また家庭ではスマホやタブレットを持っています。この先時代が進めば、壊れた時どうするんだと言ったら、100円ショップで翻訳機買ってきます、コンビニで買ってきますというような時代も来かねないわけです。ですから、そういう状況限定の反論に全員を巻き込むというのは、やはり説得力として欠けるだろうと思います。

それから、「コミュニケーションの時に翻訳機を間に挟むとテンポが悪くなる」、あるいは「深い相互理解のためにはAI翻訳は不向きである」という意見があります。ただそれは、一定レベル以上の英語話者でなければその恩恵にあずかれないような、極めて対象限定の反論なんですね。

日本国民の中で英語が、本当に日常的に、あるいは業務で必要な人は10パーセントもいないと言われていますが、残りの90パーセントの人たちにこの理由で英語を学ぶ必要があるというのは、ちょっと説得力がないのではないかと思います。

そもそも、テンポが重要視される、あるいは深い相互理解が必要だという、例えば業務や法律などでAI翻訳を使おうとすることが、現時点の技術としては間違っているのであって、これが今後もっと発展していけば、そういう業務ですら使えてしまう時代が来るかもしれません。けれども少なくとも現在は、テンポが悪いということがほんのわずかあったり、誤訳が含まれたりするわけですから、そういう領域でAI翻訳を使うという方法論がそもそも間違っているので、これをもってして全員が英語を学ぶ必要があるというのも、これもやはり説得力に欠けると思います。

そして3つ目。「AIを使うと生徒が課題で不正をしてしまう、だから使わせないんだ」という意見です。これは指導者側の学習観や指導観のアップデート不足の棚上げであろうと思います。むしろ、AIで瞬殺されてしまうような課題の方に問題があると考えなければいけません。時代に即した課題のあり方はどうあるべきかということを我々は日々アップデートしていかなければいけないわけで、自分が使っている評価の仕方だとAIを使われたら困るというのは、エゴの塊だろうなと思ったりします。

●人間並み、人間超えの性能を叩き出すAI翻訳

今日参加されている方々にとっては当たり前のことかもしれませんが、すでにAI翻訳というのは人間並みあるいは人間超えの性能を叩き出しているわけです。

次の図は、私が講演でいつも使っているもので、ちょっと古い2019年の資料ですが、とてもわかりやすいのでこれを使って説明します。

機械翻訳にはいくつかの世代があり、1985年から2010年代の統計機械翻訳(SMT)の時点ではまだまだ鳴かず飛ばずでした。変な訳が出てきてしまって、主旨は明白だが文法上の重大なエラーがある、主旨を理解するのが困難といわれるようなレベルでした。

ところが、2014年から2016年の辺りで急カーブを描きます。ニューラル機械翻訳(NMT)の登場です。AIが自らルールを見つけ出し、自ら学んでいくことができるようになったことによって、翻訳精度は飛躍的に上がりました。この資料が出された2019年の段階ですでに理解できる、適度な品質の翻訳になり、2020年には一般の人が翻訳した場合よりも高品質であることが多いレベルになるだろうと予測されていました。そして現在は皆さんのご理解の通りだと思います。

●AI翻訳は言語の価値を平等にする

AI翻訳、機械翻訳が世の中にもたらす効果は、私は「言語の価値を平等にする」ことだと思っています。

これは究極論で、すぐにそのようになるとは思いませんが、言語A、言語Bの話者がいた時に、今までであればどちらかが他方の言語を学んでいるか、もしくはその共通言語Cが必要でした。ご推察の通り、この言語Cで幅を利かせているのは英語ですけれども、この間に機械翻訳が入り込むと、お互いがお互いの母語でコミュニケーションが取れる部分がだいぶ出てきます。

すべてとは言いませんが、だいぶ出てくる。なんでもかんでも言語Cに頼っていた時代が終わり、この言語Cの価値が相対的に低くなっていく。ゼロになるとは思いませんが、依然この言語使用は便利な言語として残るでしょうが、言語A、B、Cがメジャーかマイナーにかかわらず、コミュニケーションを達成するという目的で言えば平等になりうるわけです。

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