[翻訳祭29.5報告]ITスタートアップにおけるローカライゼーションの重要性
JTF Online Weeks(翻訳祭29.5)セッション報告
- テーマ:ITスタートアップにおけるローカライゼーションの重要性
- 日時:2020年11月9日(月)15:00~16:00
- 開催:Zoomウェビナー
- 報告者:伊藤 祥(翻訳者/ライター)
登壇者
奥 るみ(オク ルミ)
HashiCorp Japan株式会社 Sales Director
国内SIから外資系ストレージベンダーを経て、GoogleにてGCP事業の立ち上げに携わる。2018年12月よりHashiCorpに入社して現職に就任。LACやNetworldといった国内パートナーの協力を得て、日本事業を拡大中。二児の母で副業で渋谷に美容室を経営している。
クラウド管理ツール大手HashiCorp Japan株式会社の奥るみ氏は、米ITスタートアップ企業の日本市場進出に豊富なご経験を有し、本セミナーでは、グローバル展開を始めたスタートアップの、翻訳を含めたローカライゼーションに対する企業の戦略や実務のタイムラインについて語られた。
外資企業が日本に事業展開する際に、本社によって日本語のHPが用意されているケースはあまりない。しかしながら、日本市場や韓国市場では特に自国でサービスが完結することが求められ、それが顧客の強い安心感につながる傾向にある。日本語のコンテンツがあるということがすなわち、その会社が日本市場を理解し投資をしていること、その市場へのロイヤリティーの試金石となっており、かつ日本での事業継続性も製品やサービスの採用判断の重要ファクターとなっている。つまり、製品やサポート、Webサイトのローカライゼーションが顧客の自社に対する事業継続性への評価に大きく寄与するので、ローカライゼーションこそが日本市場での評価や成長を大きく左右すると言っても過言ではないのだ。
グローバル展開を始めたスタートアップにおいて、ローカライゼーションの重要性、コンテンツ翻訳の効果、翻訳時のチャレンジ、最新性を保つことの難しさ、KPIなどの観点から、翻訳者・通訳、ベンダー、経営者、技術者へ向けて、現場の声が伝えられた。
通常、翻訳者は翻訳品質や自分の作業効率からの視点で、ローカライゼーションをとらえているが、クライアントの視点のお話を聞くことで、ビジネス視点・投資の観点から見ると、また違った見方で見えてくるに違いない。
ローカライゼーションの定義
まずは、ローカライゼーションとは何だろうか? その定義をたどるとウィキペディアのいくつかの定義のうち、今回該当するのは、「一般には局在化、局地化のこと。情報技術においては、コンピュータソフトウェアを現地語環境に適合させること」である。ローカリゼーション=翻訳ではない。
これを外資スタートアップにおけるローカライゼーションということで見ると、営業体制、フィールドマーケティング、製品及び製品ドキュメント、オンラインマーケティング、技術サポート体制を言語・文化・商習慣に配慮し、地域に合わせて整えていくことである。
IT業界でローカライズするべきは、製品、Webコンテンツ、技術ドキュメント、技術サポート、営業&マーケティングのコンテンツである。いちどきに全てをローカライズするのは難しいので、先に手をつけるのは、販売前に必要な「Webコンテンツのローカライズ」と「営業&マーケティングのローカライズ」となる。
ローカライゼーションする理由
企業がローカライゼーションする理由とは、もちろん「その市場で売上を上げるため」である。もし、日本市場でローカライズしない場合どうなるか。企業や商品が認知されない。信用されない。提供するサービスの価値の訴求ができない。また、英語を使う人が少ない日本ユーザーにはサービス利用が困難となってしまう恐れもある。
外資スタートアップにおける課題
日本市場進出における外資スタートアップの課題の例としては、会社規模が小さく人的リソースが少ない、会社の知名度が低い、会社の信用が足りない、顧客基盤がない、契約先が日本法人でないことへの顧客の拒否感などがある。中でも会社の知名度が低いことと顧客基盤の不足は特に大きな課題である。
また、提供するサービスの価値の訴求にあたって日本の英語話者の少なさは大いなる問題で、日本語化しなければ92〜98%の人には認知の機会がなくなるに等しい。認知を高めることの重要性は、認知を高めることでブランドを高めたいというより、見込み顧客の全体数を増やしたいからだ。地域に顧客基盤がないスタートアップにとっては見込み顧客を取り込むことが最大の課題なのだ。
大多数の日本人にリーチするためには日本語化することが重要であり、人気と価値訴求を高めるステップとしては、①HPを日本語化する、②SEO対策で検索しやすくする、③広告や記事広告を通じてHPへの流入を増やす、④HPへの滞留時間を増やす工夫をする、⑤潜在顧客のエンゲージメント、つまりHP上のアクティビティレベルを高める工夫をする、ということになる。その中で「違和感のない日本語にすること」は重要である。
「Web コンテンツのローカライズ」と「営業&マーケティングのローカライズ」でローカライズするコンテンツには、ウェブサイトとブログの翻訳、ホワイトペーパーの翻訳、YouTube動画の日本語版作成、メールの日本語テンプレートの作成または翻訳、事例とプレスリリースの翻訳または新規作成がある。
ローカライゼーションと信用
日本ではサービスの選択の際、「長期利用」を前提にするというケースが多く、ローカライゼーションの度合いを日本市場への投資の本気度と判断することが多い。つまり製品の長期信頼性の判断や選択の拠り所とされるのは、日本語コンテンツの充実、製品やマニュアルの日本語化、技術サポートの日本語対応、日本拠点の有無、日本のパートナーやチャネル数である。
製品コンテンツ以外のローカライゼーション
また、製品コンテンツ以外でローカライゼーションが行われる分野には、製品技術の国や地域の標準規格への対応、製品のコンプライアンス対応、契約書のローカライズ、技術サポートの日本語化、サポート窓口の品質・フローのローカライズ、製品学習・研修のローカライズがある。
スタートアップのローカライゼーションの事例
1)データ分析基盤 SaaS のスタートアップ企業の例
時系列でローカライゼーションの取り組みを紹介すると、最初に、ウェブサイトの2層目までのコンテンツを機械翻訳し、次にグローバル事例の日本語化を図った。少しローカライゼーションチームの規模が大きくなった時点でウェブサイトのコンテンツを翻訳者が翻訳したものに差し替えた。また、ユーザーとのダイレクトな取引が多い業界のため、この次の段階で、いち早く契約書を日本語化し、日本語事例も作成した。また、思い切ってこの会社の全ての製品ドキュメントの日本語化を行った。翻訳者による翻訳にエンジニアが張り付きで一括で全製品を日本語化した。この英断でその後のサポートの負担も削減されたという。そして、日本語サポート窓口を整備、最後にSEO対策や記事広告によるマーケティングキャンペーンを行った。
この企業はローカライゼーションに理解ある企業で、この他に功を奏した特徴としては、シングルドメインで多言語化されたサイトをもつこと、ローカライゼーションチームがあり、予算が本社負担であったことがある。部門予算より本社予算の方が幅広い対応がとられることが多い。この他、マーケティング担当が推進役となったこと。現状、フィールドマーケティングがオンラインマーケティングに変わりつつあることもあり、マーケティング担当がローカライゼーションの音頭をとるケースが多い。英語に堪能な技術者によるレビューがあったことも大きい。
一方、現状の課題としては、まだ日本語のコンテンツ量や事例が少ない点がある。それも関連して英語サイトに比べ、自然検索からのホームページ閲覧が少なく、キャンペーンを打ったときなどの流入が主で、閲覧のPVの伸びがまだ安定していないことである。
2)マーケティング自動化スタートアップ企業の例
この企業では、担当者をつける前に、まずHPの全コンテンツを機械翻訳にかけたという。製品の日本語翻訳も実施して使えるようにした。しかし、機械翻訳の内容があまりよくなかった。そこで違和感のない翻訳にするために、すぐにお金をかけて営業的コンテンツについては翻訳者による翻訳に換えた。日本語事例とブログ翻訳を独自作成し、製品ドキュメントはSaaSのマーケターが使うケースが多いので、もとの英文の構造もしっかりしており、用途も使い方がわかればよいというものだったので機械翻訳にした。マーケティングディレクターの采配で、方針や予算にメリハリをつけて実施された。日本語サポートはベストエフォートであるが、ほぼ全てのコンテンツが翻訳されているので問題ないそうだ。最後に、SEO対策、記事広告、マーケティングキャンペーンを行った。ただし、この会社は記事広告というよりHPのコンテンツを充実させて、HPに呼び込む戦略をとっている。
そのHPはシングルドメインの多言語対応サイトであるが、日本語化が最初となり色々な模索は日本語化の過程で体験して、多言語化が図られた。もともとローカリゼーションチームはあったが、機械翻訳に頼ったり細かいケアが出来ていなかったのが、日本チームが主導権を持って進むようになった。本社予算だが執行は日本で決定できたので、現場がどうローカライズするか決定できた。
課題はコンテンツ量が多く翻訳タイミングが難しいこと、サポートの本格ローカライズがまだであること、言葉の揺らぎがまだまだ多い、本社のコンテンツやサイトにサイトに沿って翻訳するため文字数やレイアウト調整が大変、日本ユーザー向けにはあまりローカライズできていない、などがある。
ローカライゼーション時の翻訳の進め方と手法には、コストがかかる順に次の6種類がある。
- 翻訳者による翻訳と、ローカルチームによるレビュー
- 翻訳者による翻訳と、本社ローカライゼーションチームによるレビュー
- 翻訳者による翻訳と、レビュー無し
- 機械翻訳と、ローカルチームによるレビュー
- 機械翻訳と、本社ローカライゼーションチームによるレビュー
- 機械翻訳
レビュー無しは、翻訳者がある程度慣れてきた場合である。用語集などでの用語統一をするのでなければ、翻訳者の翻訳であっても違和感が残る。機械翻訳とレビューは、違和感あるところだけ直す場合である。内容により、どのパターンを選択し投資するか検討していくことになる。
3)当社の例
製品のローカライズ、技術サポートのローカライズ、営業とマーケティングのローカライズはできているが、Webコンテンツのローカライズと技術ドキュメントのローカライズはまだこれからである。
現在、翻訳は翻訳者による翻訳とローカルチームによるレビューで対応しているが、ローカルチームにとっては人的リソースが少ない中で負担が大きいので今後どうするべきか検討しなければならないと考えている。
課題としてはローカライゼーションチームがないこと、多言語においてもローカライズしていないこと、コンテンツ量とアップデート頻度が高いので日本語化許可が下りていないこと、リスティング広告や記事広告からの流入先のランディングページが作れないこと、そのためせっかくの日本語コンテンツでもたどり着くユーザーが少ない、マーケティング予算がアジア太平洋地区単位となっていることなどがある。
代替措置としては、パートナーに委託する、ローカルチームによる独自コンテンツをGitHubレポジトリで提供することが挙げられる。またコロナで縮小したフィールドマーケティング予算を一部ローカライズ予算に当てることもしている。
ローカライゼーションの効果の検証
予算管理上の課題として、検証するにあたり、KPI(評価指標)の設定、ROI(費用対効果)の測定が難しいことがある。最大のKPIは売上であるが、すぐには効果が現れるものではない。KPIとして考えられるのは、技術サポートでは、日本語サポート必須の売上・ケース数、Webコンテンツ・白書では、ダウンロード数・ウェブサイトでの見込み客獲得数・PV数・メール開封率などがある。
ローカライゼーションのROIは、全体で測定することはほぼ不可能なので、細かい項目ごとに効果を見ていくしかない。リターンについても、PVや見込み客数の場合、金銭価値に換算しづらい難点がある。営業や技術サポートチームの設置など投資金額の幅が広いもの、将来性を含むものについても、支社では判断が下しづらいので、本社が必要投資として納得する必要がある。
まとめ
ローカライゼーションとは、その地域での売り上げを増やすために、言語・文化・慣習への対応を行うことである。営業においてはローカライゼーションが重要な見込み顧客をドライブすることにつながる。日本の顧客からはローカライゼーションは日本市場の投資の真剣度の指標とされる。ローカライゼーションパスは会社の方針により様々に設定される。概して、即、売上増にはつながりにくいので、KPIの設定及びROIの測定は難しい。
質疑応答
Q. ローカライズにあたって、翻訳者にとっては低価格・短納期などの問題があるが、クライアントから見て、どう思われるか?
A. 短納期は本国と同じタイミングで発表したいなどという事情もあってやむを得ない面がある。予算に関しても実際タイトなケースが多いと思う。ローカライゼーションのロードマップを確認し、予算の出元を確認するのは重要だ。多少単価が安くても今後も続けて受注できそうだから受けようといった判断材料にしてもらえればと思う。例えば、US主導のプロジェクトの場合はUSのベンダーに頼むことが多いので、日本での案件が単発になってしまうこともある。そういったことも判断材料としてもらいたい。
Q. ローカライズのためのベストプラクティスはあるか?
A. ローカライズを同時進行で進められるようなフローを作っておいた方が良いと思う。ローカライズを同時進行できる企業では、すぐに本国の情報が対象国の関連部門に降りてくるような体制となっており、タイムラグが少なく、ローカライズが進められるようになっていた。
Q. 用語管理の方法は?
A. 人数が少ないので、スプレッドシートにレビューしたメンバーが違和感のある用語を記入する形で管理している。
Q. 事例で紹介されたローカライゼーションに要した期間は?
A. 2年半から3年半ぐらいである。