日本翻訳連盟(JTF)

翻訳チェックを復習しよう(後編)

講演者:産業翻訳者(英日・日英)、WildLight開発者 齊藤貴昭さん

日本翻訳連盟主催の2023年翻訳祭から選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回は、産業翻訳者(英日・日英)齊藤貴昭さんの「翻訳チェックを復習しよう」後編です。翻訳におけるヒューマンエラーを特性別に分類し、お客様にミスのない翻訳を提供するために、どのような翻訳チェックを実施するべきか、どんなチェックが有効か、また、どのようなアプローチで実施すべきかなどについて解説します。

●人間の能力を過信しては危険

翻訳チェックは、人手でやっているのがほとんどだと思います。ツールを使って行っている先進的な方もおられると思いますが、大半が人手によるものでしょう。

翻訳チェックで一番注意を払わなければならないところは、人間の能力に関することです。人間の能力を過信している方がけっこう多いので、過信してはいけないという話をちょっとさせていただこうと思います。

次の文章は、ある書籍から引用した文章です。翻訳チェックだと思って、おかしなところを1箇所見つけてください。

柳川さんは韓国に行くと名誉市民。日韓親善友愛会、亜細亜民族同盟主催の韓国ツアーが年に2回ほどあった。
費用は20万円と、通常の3倍くらいの値段だったにもかかわらず、多いときには500人が参加した。当時の日韓の物価の違いは30倍じゃきかなかったから、韓国には大変な金額が落ちたはず。もろちん柳川さんは大金を寄付した。だから韓国では優遇された

わかりましたか? 答えは最後の行の「もろちん」です。出版された本ですから、笑い事じゃありません。これは1976年刊『アントニオ猪木』という本から抜粋してきましたが、twitter(現X)などでも、こういう間違いがけっこう話題に出てきます。私もGoogle Booksで調べてみたら、他の書籍でもいくつも出てきました。この「もろちん」問題というのは、出版業界では有名なお話のようです。

ここでお伝えしたいのは、出版物ですので、もちろん作家もしくは翻訳者がいて、編集者がいて、校正・校閲者がいるわけです。この3セクションで確認してもなお、出版物として世に出てしまっている。つまり、普通にチェックしていたら、引っかからないということです。ちなみにこの現象を、「タイポグリセミア」と呼ぶようで、単語の最初と最後の文字が正しければちゃんと読めてしまうという現象です。

「もちろん」の「ち」と「ろ」が逆になるのは、かな入力の人に起こりやすい問題です。キーの押す順番を間違えたってことですよね。これをローマ字入力している人がやったとしたら、それはViolationでしょう。意図的にやっています。もし、こういうミスを見つけたら、「あなたは、かな入力ですか、ローマ字入力ですか」と聞いてみるのも面白いです。ローマ字入力ですと言われたら、「あなたクビ!」ということになるわけですね。

タイポグリセミアはどうして起こるのか。原因をいろいろ調べてみたところ、「ジスト認識」というものが影響しているようです。ジスト認識とは、「大まかな内容や要点を速やかに把握する能力」です。森を見て木を見ない、全体を見ているけれど細部は見ていない。文章全体の流れや意味を理解する傾向が強いため、個々の単語のスペルミスや文法ミスを見落としやすいということですね。翻訳や校正の作業では、この傾向に注意を払いつつ、詳細に目を通すことが重要になってきます。

●思い込みがミスにつながる

もう一つの例として、クライアントさんから「社内翻訳で、Shiftのfを忘れて、そのままマニュアルを市場に出してしまった」とご相談をいただいたことがあります。もちろんクライアント社内でも翻訳チェックをやっていたにもかかわらずです。

同様の例を5年ぐらい前に見つけたのですが、あるフェイシャルマッサージ機器の説明に、こう書いてありました。

「Tighten up the headband strap so the massager dose not shit on your face.」

これは、マッサージ機が顔にずれ落ちないように、ちゃんとヘッドバンドを締めてくださいということを説明したかったのでしょうけど、ちょっと危険な、洒落にならない説明文になっています。これはスペルチェッカーで引っかからないですから、こういうミスは本当に怖いです。ですから、何かの方法でチェックして検出しないと、こういうミスは流出するということです。

人間は思い込む動物で、情報を勝手に補完します。頭に入って理解した瞬間に、違った情報に変えてしまう。要するに、高い能力があるが故に、翻訳チェックでいろいろ悪さをするということです。「意味をちゃんと理解しながらチェックしているから数字のミスなんて見逃さないよ」と言う翻訳者がたまにおられますが、まず無理だと思います。理解した途端に情報を補完して、自分の都合のいいように解釈する可能性があるからです。

「スペルをミスした」「勘違いした」「ケアレスミスが原因」と問題を過小評価しがちですが、先ほどの例のように笑い事では済まされません。企業のイメージや製品のイメージに大きな影響を与える誤訳ですから、大問題です。

ちなみに、人間の集中力には限界があるそうで、医学的には25分から50分ぐらいといわれています。ポモドーロ・テクニックといって、25分集中して仕事をして5分間休み、また25分仕事をする、このほうが、集中力を継続するという意味ではよいらしいです。

ということで、人に頼るチェックは危険であり、集中力を持続させるために、また人間に勘違いを起こさせないために、チェック方法に何らかの工夫が必要だということがわかると思います。

●いろいろなことを一緒に行うのはミスの元

次は、製造業の現場の話です。物を接合する時に、ビスを締めて製品を組み立てます。ある時、ビスのないものが見つかったので、付け忘れをなくすために現場監督者が「ビスを締めたら赤ペンで印を付けてください」という指示をしました。

母材があって、それに部品を「ビスで締め」、「ビスが付いているのを確認」して「赤ペンを付ける」という作業です。工場ですからこの作業を何百何千回と行うわけです。そうすると、ビスがないのに赤ペンが付いているものが流れ始めます。おかしいですね。

本来は「ビスの有無を確認」して「赤ペンを付ける」のに、単に「赤ペンを付ける」作業になってしまい、チェックが忘れ去られてしまう。なぜこんなことが起こるのでしょうか。

「ビスを締める」「赤ペンを付ける」は人間が行う動作(反復動作)で、「ビスの有無を確認する」のは(脳内で行う)精神作用といわれます。実は、脳の使い方が全然違うのです。

人間には「手続き記憶」というものがあって、反復動作は手続き記憶に定着するのですが、チェックや判断などの精神作用は定着しないのです(図1)。みなさんがスラスラとキーボードを打てているのは手続き記憶によるものです。ピアノが弾けたりギターが弾けたりするのも、手続き記憶によるものです。

「反復動作」と「精神作用」という2つの違うことを一緒に行っているのでミスが起きてしまう。本来、チェックの目的で行っていたことが、チェックの目的にならない。脳の使い方が違うことを一緒に行うと精度が落ちてしまうのです。

翻訳チェックにおいても、よりわかりやすい訳文はないか、より適切な表現はないか、解釈の間違いはないか、用語集やスタイルの適用はできているかなど、いろいろなチェックを一度にやろうとしても無理ということです。つまり、翻訳チェックのやり方、その順番なども慎重に考えなければならないことがわかると思います。

●チェック方法を考えるポイント

そこで、翻訳チェックへのアプローチのポイントとして、「頭の使い方の違いで、チェックを分類して行う」ことと、「脳に気付かれる前に、間違いに気付く方法が必要」になります。後者は、例えば数字を見て、その数字が1とわかる前に間違っているとわかるようにしたい。「そんなことができるのか」と思われそうですが、この後、その方法をお話します。

チェック方法を考えるポイントとして、私は次の3段階で考えています。

①チェックを分解して行う

  • 思考過程が同じものを合わせる

②人間のモードを切り替える

  • 作者から読者へ

③チェックツールの助けを借りる

  • 人間の能力をサポートさせる
●チェックを分解して行う

まず、「①チェックを分解して行う」ですが、思考過程が同じものを合わせるということで、私は、チェックを「単純照合」「参照照合」「読解チェック」の3つに分類しています。

「単純照合」は、モノの比較でわかるもの。原稿と訳文の間で、色や形を見ることで良否判定ができるレベルのものです。例えば、数字、単位、記号、略語、訳忘れなどで、これは対訳表を作ればできます。

「参照照合」は、基準との比較でわかるもの。基準になる別の書類や資料など参照物があって、それを見ながら原文と訳文を照らし合わせて、良い悪いを判断するものになります。用語集、スタイルガイドなどがこれに該当するでしょう。

「読解チェック」は、理解して判断すること。たぶん、みなさんが通常やっているチェックと同じで、原文と訳文を読み込んで、意味を理解して良否判断をする。これには流暢さ、読みやすさ、表現集、誤訳、文法などが関係してくると思います。

人間が情報を認識するまでの流れは、まず感覚して、知覚して、認知するという流れで進むようです(図2)。チェックを分解する際のやり方としてお話した「単純照合」「参照照合」とは、参照照合が認知の段階で判断できるものです。単純照合はどちらかというと、認知前の知覚した段階で判断できるもの、要するに先ほど言った「頭が理解する前に良否判定する」という世界です。この単純照合の段階にチェック方法を変えていき、判断できるといいわけです。

●時間や場所を変えて、モードを切り替える

「②人間のモードを切り替える」ためには、「客観性の演出をしなさい」と、私は常に言っています。翻訳をやっている環境、例えば自分の席のコンピューターの位置や机の形、壁の色などすべてですが、その中で仕事をしようとすると、頭の中は、必ず翻訳者のモードになります。

そこを何とか客観性を演出して、「自分は翻訳者じゃないんだ」と思わせる、校正者モード、読者モードに切り替えるような演出が必要になってくると思います。例えば、「時間」をおいてチェックする、「場所」を変えてチェックする、「紙に印刷」してチェックするというようなやり方があると思います。

「時間」については、たぶんみなさんやっていますよね。一晩寝かせてからチェックするのはとてもいい方法です。また犬と散歩に出かけてからチェックするなども、頭がリセットされるのでとても有効な手段だと思います。

「場所」を変えてのチェックは、ノートパソコンをリビングに持っていってチェックしたり、タブレットに入れてカフェに出かけてチェックする方もいるようで、これもいいですね。目に入るいつもの仕事場の景色が翻訳者モードをオンにしてしまうので、職場から離れるというのはとてもいい手段だと思います。私も最終の翻訳チェックをする時だけは、印刷して別室に行ってやっています。

それから、「紙へ印刷」してチェックする。これも完璧に翻訳時と環境を変えるという意味でいいですね。いくつかの論文などを読んでみると、紙に印刷してチェックしたほうが、「より深い理解力を得られる」「より正確な情報を覚えることができる」「読解に対する理解と覚えやすさを助ける」「集中力が長時間持続しやすい」といった報告がされています。

たぶんこれはわれわれの世代が、紙に印刷されたものを読んで今まで成長してきていることが影響している可能性があるので、50年後は変わってくるんじゃないかとは思いますけれども、現状は紙に印刷したほうが検出力は高いようです。

ちなみに私はエージェントの時に、モニターによるチェックと紙によるチェックで検出力の違いをデータに採ったことがあります。やはり紙でチェックしたほうが検出力は高いというデータが採れましたので、たぶん間違いないと思います。

●チェックツールの助けを借りる

「③チェックツールの助けを借りる」として、図3のようなソフトウェア(ツール)があります。

特に上の2つ、「JustRight!」と「色deチェック」は必須だと思います。校正ツールの「JustRight!」は、日本語への翻訳をやっている翻訳者は手放せないツールだと思います。

「色deチェック」は、対訳表を作ってくれ、数詞を自動的にチェックして数字の間違いを示してくれるものです。

このようにいろいろとチェックツールはありますが、ツールを使う時の一番のポイントは、「ツールに勝手をさせない」ことです。

MicrosoftのWordに、「オートコレクト/オートフォーマット」という機能があるのをご存じでしょうか。初期設定のまま使っていると、知らないうちに文字が書き換わっています。恐ろしいですね。それが原因でクライアントからクレームがついたこともありますので、基本的には勝手に修正する設定はオフにしたほうがいいです。

特に最近、Microsoft365(Office365)になってから、Outlookでメールを書く時までオートコレクト/オートフォーマットが出しゃばってくるようになりましたが、全部オフにしたほうがいいと思います。

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