日本翻訳連盟(JTF)

「私の通訳者デビュー」古賀朋子さん編

第2回:秘書兼翻訳者、英会話学校講師を経て、アメリカの大学院へ

フリーランス日英同時通訳者、古賀朋子さんの「私の通訳者デビュー」を、松本佳月さんが主宰するYou Tube「Kazuki Channel」からインタビュー記事にまとめて、6回連載で紹介します。第2回目は、大学を卒業し、秘書兼翻訳者、英会話学校講師を経て、アメリカの大学院に留学するまでの経緯をお話いただきました。
(インタビュアー:松本佳月さん、酒井秀介さん)

●合わなかった秘書の仕事

古賀:通訳になるためにまず社会人として経験を積もうと考えたのですが、アメリカ留学から帰ってきたらもう4年生の前期が終了していて、みんな就職活動も終わっていました。その時期にまだ募集している企業もあまりなかったし、受けても落ちるし、「どうしよう」と思っていたら、大学の通訳のクラスで一緒だった1年下の学生が、「開業医のおじが秘書兼翻訳者を募集しているけど、どうですか」と声をかけてくれました。

スキンクリニックを経営している皮膚科の医師をしている方で、香港など海外に銀行口座を開設して海外の薬の輸入販売などもしていたので、説明書などを和訳する必要があり、秘書兼翻訳者を募集しているとの話でした。

私、そういう時、めんどくさがり屋な性分が発動してしまうんです。「いいじゃん、それで」という気になって、卒業前の1月くらいからそこにお世話になってポツポツお仕事をしていました。でも、秘書という仕事が合わなかったんです。

松本:ちょっと、わかるな。

古賀:英訳は少しは興味深いこともあったので、できないなりにも一生懸命調べてやっていたんですけど、香港と電話したりするのは辛かったし、秘書の仕事は、指示されてせっかくやっても、いろいろと変更になってしまうし……。

松本:仕事が幅広いですからね。

古賀:そうそう。なんでも屋ですね。

松本:私も6年間ぐらい大学の先生の秘書をしていましたけど、ああいう仕事って性格的に気の利く人じゃないと難しいじゃないですか。

古賀:そうなんですよ。

松本:私もめんどくさがりだから、楽しい部分もあったけど、自分にとってはずっとやっていく職業じゃないんだろうな、という感じはしていました。

古賀:いや、年単位で続いただけで、すごく尊敬します。私は半年で辞めました。

松本:なんか違うぞって思ったんですね。

古賀:向いてないなと思って。私のこともさることながら、私を秘書にしている彼も不幸だなと思って、次のことも考えないまま辞めちゃったんです。

左:外国語大学の卒業式
右:大学卒業前から、開業医で秘書兼翻訳者として働き始める(写真は古賀さん提供)
●英会話学校に勤め、主任講師になる

古賀:その後、どうやって過ごしていたか、あまり記憶もないんですけど、家族に「どうしようかな」とか言っていたら、母が、「英語を教えればいいんじゃない」と言い出したんです。

それで、「あ、そうか。じゃあ英会話学校に勤めよう」と思って、2つ受けて、どちらも合格して、そのうちの1つを選んで、そこに最初は1年勤めました。

1年経った時点で、すでに大学院に受かっていたので、大学院に行こうとしていた矢先に、英会話学校の校舎を異動になったんです。最初はヒラの先生だったのが、異動先では主任講師になってしまって、すぐ辞めるのは、ちょっと無責任な感じがするなと思いました。それで、入学を1年延期して、1年数カ月後に大学院に行きました。

松本:英語を教える仕事は楽しかったんですか。

古賀:嫌いではなかったんです。ただ、英会話学校に来る人の動機って、あんまり強くないんですよ。

松本:わかる、わかる。実は私も英会話の先生をしていた時期があって。その英会話学校に来る人のタイプも同じでしたよ。

古賀:そうなんですか。

松本:私は3カ月で辞めちゃったの。昼間の仕事じゃなくて夜の仕事だからということもあり、体調もあんまり良くなかったし。私は子どもも教えていたので。

古賀:私も教えていました!

松本:子どもたちは夕方からだし、別に子どもは英語をしゃべりたいわけじゃないんですよね。お母さんが子どもに英語ペラペラになってほしいから。親とも面談しなきゃいけないじゃないですか。

古賀:そうでした。

松本:そういうことがいろいろあって。一番の原因は、体力を消耗しちゃったことなんけど。古賀さんは1年以上続いて、主任までいったというのはすごいな。

古賀:嫌いではなかったし、休みの日も準備にすごく時間を費やしたりして、けっこう一生懸命やっていたんですけどね。

英会話学校では、入校希望者に、「どういうゴールを目指して英会話学校にいらしたんですか」と聞くことになっていました。けっこう多くの方が、「映画を字幕なしで見たいんです」とおっしゃるんです。

それは別に悪くはないけれど、「いやいや、映画を字幕なしで見るって、それは何十年単位のものすごい勢いと量の勉強と、理想を言えばアメリカ(英語圏)に行って、文化などにも触れて、そういうことがわかって初めていろいろな映画を字幕なしでも大体わかるかな、っていう話だよ」と思っているから、「皆さん、日本語をどうやってここまでやってきて、今そういうふうにお話になれると思いますか。それは皆さんの人生の年数だけしゃべって、聞いて、書いて、読んできたからですよね。英語も同じです」というようなことを言ってしまうので、マネージャーにすごく嫌がられていました。

松本:なるほど、難しいですよね。

古賀:英会話学校には、意欲がそこまで高くない、もしくは「できるようになったらいいな」とぼんやり思っているけれど、どれぐらい勉強したらそうなるかというイメージがあまりない人もたくさん来るので、面白かったけど、難しかったですね。

松本:こんなことを言ったら怒られるけど、週1回だけ英会話学校に来て、しゃべれるようになるわけないんですよね。

松本:そうなんですよ。私、けっこう言ってました。「週1回なり2回、学校に来る時は、皆さんが普段自分で練習したものを発揮する場です」と。学校に来て、1時間や2時間やっているだけでは、全然しゃべれるようになんかならないと思っていたので。

松本:主任講師になってから、どのぐらい働いていたんですか。

古賀:そんなに長くないです。1年8カ月くらい。

松本:ほぼ2年ですね。

●アメリカの大学院を受験

松本:その後、どちらの大学院に行ったんですか。

古賀:カリフォルニア州のモントレーにある、当時はモントレーという名前の大学院です。今はミドルベリーの一部になったので、そういう名前になっています。

松本:大学院の受験準備は大変じゃなかったですか。再度TOEFLを受けたんですか。

古賀:どうだったかな。TOEFLをそれだけのために受けたかどうかは覚えていませんが、大学在学中に留学して帰ってきてから受けて、最終的に600点を超えました。

大学院の試験は、家にマテリアルが送られてきたんです。当時は全部、紙でしたから。内容は、何かを読み上げるとか、トピックが書いてあってそれに対して、何分間かしゃべってテープに録音して送りなさいとか、そういう試験でした。

松本:オンラインとかじゃないもんね。

古賀:オンラインではないです。私は書かれたディレクション通りに、すごく真面目にやったんです。原稿なども作ったりせず、アドリブというか、そのトピックについて自分でしゃべりなさいと書いてあったから「あ、今のところ、しくじったからもう1回やり直そう」と、頭から録音し直したりして。そういうふうに一生懸命やって送りました。もうすごく前の話だから、時効と思って言いますけど、後でクラスメイトに聞いたら、「えっ、そんなのもちろん一発でやってないよ。原稿を読んだよ」みたいなことを言われたりして、「ええ!」と思いました。

当時はまだ実家暮らしだったので、いつまでに準備して、いつ受けるということよりも、親がいない、静かな日の午後にこれを録音しなければならないと思って、そのことが悩みでした。例えばどこか他のところを借りて録音するとか、そういう発想も全くなかったので、親が出かけると言っているから、この土曜日の午後に録音しようと決めて、その通りになんとか終わらせて出した、みたいな感じでした。だから、いわゆる受験という感じではなかったです。

●モントレーの大学院を選んだ理由

酒井:「通訳になるぞ」「そのためにどこかに学びに行くぞ」という気持ちをずっと持って過ごしていたんですか。

古賀:そうです。

酒井:それで、仕事の状況もちょうどいい区切りでもあったし、学びに行こうと決めた時に、なぜモントレーを選んだんですか。他の選択肢もあったんですか。

古賀:ちょっと話が戻りますが、大学時代の留学は9カ月だったんですけど、その前に海外に1カ月行ったんです。そのうち3週間は語学学校に通って、もう1週間は観光するというプログラムがあって、最初はイギリスに行くプログラムに申し込んでいました。大学で最初に教わって「いいな」と思った先生がイギリス人だったので、イギリスのプログラムに応募したんです。

ところが、人数が集まらなくて中止になってしまい、アメリカのプログラムだったら人数が集まっているからこちらならと言われたんです。「じゃあ、アメリカでいいか」と思って1カ月アメリカに行ったら、けっこう好きになっちゃったんでしょうね。

松本:その1カ月のプログラムもモントレーだったんですか。

古賀:1カ月行ったのはモントレーじゃなくて、サンタクルーズです。

松本:カリフォルニアですね。ロサンゼルスの南のほうかな。

古賀:そうです。その時になんか楽しいなと思って、その後の長期留学では、イギリスはもう私の中で除外されていて、UCLAに行くことになったんですね。そのUCLAのプログラムも、たまたま私の前の年から始まって、私がその大学で2人目というラッキーなタイミングでした。

そういう流れで来たから、大学院も絶対アメリカに行きたかったんです。今はもしかしたら他にもあるのかもしれませんけど、当時アメリカで通訳の大学院と言ったら、モントレーでした。

松本:モントレーって、いい場所なんですよね。

古賀:そうなんですよ。当時はほぼ勉強しかしてなかったので、あんまり関係なかったですけど、いい場所ですよね。

酒井:いわゆる日本で通訳学校と言われるようなところには行ってないんですか。

古賀:行ってないです。

酒井:じゃあ、比較もできるわけではないけれども、ということですかね。

古賀:そうですね。通訳学校は自分が通ってないので、あくまでも伝聞で聞いた情報しかないという感じですね。

酒井:これをお聞きしたのは、昔、古賀さんが先生に相談されたように、例えば誰かに「通訳になりたいんですけど、どういうルートがいいですか」と聞かれたら、今の古賀さんはどう答えるのかなと思ったんです。

古賀:それは大学院がいいと思います。(次回につづく)

(「Kazuki Channel」2022/08/28より)

←第1回:大学在学中のボランティア通訳がきっかけ

◎プロフィール
古賀朋子(こが ともこ)
日英同時通訳者
千葉県生まれ。神田外語大学外国語学部英米語学科を首席卒業(GPA:3.95)。モントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院)通訳翻訳学科にて会議通訳修士号取得。大学在学中から秘書兼翻訳者として勤務。英会話学校で講師、主任講師を歴任。大学院卒業後はアメリカのアラバマ州の自動車工場にて通訳翻訳者として勤務。帰国後、製薬会社、損害保険会社、MLM企業にて通訳翻訳者を務める。社内通訳者歴15年。2020年からフリーランス通訳者として活動。共著に『同時通訳者が「訳せなかった」英語フレーズ』(イカロス出版)。趣味は旅行、BTS、韓国語学習。

◎インタビュアープロフィール
松本佳月(まつもと かづき)
日英翻訳者/JTFジャーナルアドバイザー
インハウス英訳者として大手メーカー数社にて13年勤務した後、現在まで約20年間、フリーランスで日英翻訳をてがける。主に工業、IR、SDGs、その他ビジネス文書を英訳。著書に『好きな英語を追求していたら、日本人の私が日→英専門の翻訳者になっていた』(Kindle版、2021年)『翻訳者・松本佳月の「自分をゴキゲンにする」方法:パワフルに生きるためのヒント』(Kindle版、2022年)。

酒井秀介(さかい しゅうすけ)
通訳者/翻訳者向けの勉強会コミュニティ「学べるカセツウ」を主催。辞書セミナーや英文勉強会などスキルアップ関連をはじめ、キャリア相談、実績表やレート設定等のコンサル、目標設定コーチング、交流・雑談会、カラダのメンテナンス、弁護士や税理士相談会等、通訳翻訳以外のテーマも幅広く開催。詳細はXアカウント https://x.com/Kase2_Sakai を参照。
共有