日本翻訳連盟(JTF)

私の一冊:『モモ』

第72回:英日翻訳者 武居 ちひろさん

『モモ』ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波書店、2005年

わたしはこの本を小学生のころ読んだと思う。まだ一度も外国へ行ったことがなく、自分の知る世界だけがすべてだったころ。日本と外国、異文化、資本主義、労働、戦争、人種、差別について考えたこともなかったころ。日本語に訳されたこのオレンジ色のすてきな本を読んで、わたしは夢中になった。

もとは外国語で書かれたことも知らず、登場人物たちの外国風の名前も気に留めず、ただ物語に没頭し、モモといっしょに冒険をした気でいた。その体験に国境や言語、異文化の壁はなかった。日本では大島かおりさんの美しい翻訳によって、そして世界じゅうの翻訳者たちによる40言語を超える翻訳版を通じて、いったい何人の子どもたちが、世界のさまざまな境界を軽々と超えていったのだろう。ことばに尽くせぬほどすごいことだと思う。大人になったいま、「時間がない」とか「時間の無駄」などとしょっちゅう口にするようになってしまった。あらためて本作を読んだとき、目の前にそそり立つ灰色の壁はあまりにも高い。

◎執筆者プロフィール
武居 ちひろ(たけい ちひろ)
米国翻訳者協会認定英日翻訳者。平日は会社員。翻訳同人誌「LETTERS UNBOUND」のなかの人。人間にとても興味がある。映画と食べ物が好き。訳書に『フィリックス エヴァー アフター』(ケイセン・カレンダー著、オークラ出版)、共訳書に『死の10パーセント』(フレドリック・ブラウン著、東京創元社)、『ゴッド・パズル- 神の暗号-』(ダニエル・トゥルッソーニ著、早川書房)。

★次回は英日字幕・出版翻訳者の梅澤乃奈さんに「私の一冊」を紹介していただきます。

←私の一冊『GIRLS NOIR ガールズ・ノワール ハードボイルドよりも苛烈な彼女たちのブックガイド』

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