日本翻訳連盟(JTF)

ポストエディット最前線 新時代のスキルで切り拓く翻訳者の未来(前編)

講演者:株式会社カルテモ取締役事業推進部部長、翻訳品質管理責任者 荒木 慎太郎さん

日本翻訳連盟主催の 2025 年翻訳祭から選りすぐった講演の抄録をお届けします。今回から2回にわたって、株式会社カルテモ取締役事業推進部部長、翻訳品質管理責任者の荒木慎太郎氏による「ポストエディット最前線 新時代のスキルで切り拓く翻訳者の未来」をご紹介します。本講演は「ポストエディットとは」「ポストエディットの現在と未来」「ポストエディットの新時代に活躍する翻訳者になるには」の3つのパートに分けてお話いただきました。今回の前編は前半の2つから、ポストエディットの定義、クライアントと翻訳者から見たポストエディットのメリット、ポストエディットの品質要求、多様化するポストエディットの現在とますますの需要が見込まれるポストエディットの将来予測をお届けします。

●はじめに

機械翻訳、いわゆるMTの進化は目覚ましく、それに伴い、翻訳業界ではポストエディットの需要が急速に高まっています。そして、その需要の高まりは、ポストエディットの現場に多様化という大きな変化をもたらしています。

後ほど詳しくお話しますが、対象ドキュメントの種類、クライアントが求める品質レベル、さらには使用するツール環境に至るまで、あらゆる要素が多様化しています。こうした時代において、クライアントの様々なニーズに応えていくためには、従来の翻訳能力だけでは十分ではありません。

本日は、ポストエディットにおける品質を的確に捉えるスキルや、各種ツールに柔軟に対応するスキルといった、これからの時代に不可欠な能力を新時代のスキルと位置付け、ポストエディットでキャリアを構築するための具体的なヒントを皆様にご提供できればと思います。このプログラムが、これからポストエディットに挑戦したいと考えていらっしゃる方はもちろん、すでに受注はしているけれども、どうも効率が上がらない、品質の判断基準に自信が持てないといった具体的な課題をお持ちの方にとっても、その解決の糸口を見つける一助となれば大変嬉しく思います。

まず、自己紹介から始めたいと思います。改めまして、株式会社カルテモで取締役事業推進部部長、品質管理責任者を務めている荒木慎太郎と申します。

私のキャリアは2013年、株式会社で翻訳者レビュアーとしてスタートしました。今から10年以上前のことになります。当時、翻訳会社では現在ほどポストエディットという手法が本格的に導入されていたわけではありませんでしたが、カルテモでは当初からポストエディットプロジェクトに対応していました。

ですから、私がこの業界に入った時には、すでにポストエディットという仕事が当たり前に存在していたわけです。言うなれば、私はポストエディットネイティブ世代とでも言うべきかもしれません。翻訳者としてのキャリアのスタートラインから、機械翻訳の出力結果と向き合うことがごく自然な環境でした。

翻訳者の方の中には、ポストエディットに抵抗がある方もいらっしゃるかもしれません。しかし幸いなことに、いわゆるポストエディットネイティブである私には、そうした抵抗感はほとんどありませんでした。むしろ、どうすればこの新しい仕組みを効率的に活用し、品質を高めることができるかということに、ごく自然に興味を持つことができたのです。以来10年以上にわたり、まさにポストエディットの最前線で品質向上に取り組んでまいりました。

現在は実務に加え、会社全体の品質定義の構築や新人育成、さらにはフェロー・アカデミーでの講座などを通じて、ポストエディットの育成にも携わっております。
こうしたポストエディットネイティブとしての私の独自の視点を交えながら、皆様にポストエディットの世界を深く、そして実践的にお伝えできればと思います。

●ポストエディットとは

すでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今後の話をより深く理解いただくために、まず、「ポストエディットとは何か」という基本的な認識を再確認するところから始めたいと思います。

ポストエディットは、非常にシンプルに言うと、機械翻訳のアウトプットを私たち人間が目的に応じて修正、改善する作業のことを指します。まさに、マシントランスレーションの作業が完了したポストに人間がエディットする、その名の通りのプロセスです。

ポストエディットの定義については、日本翻訳連盟の公式サイトでも「機械翻訳(MT)の後に人間が翻訳の編集・校正、手直しをして、人間の理解しやすい翻訳の品質にすること。この作業が少ない機械翻訳エンジンほど高品質と言える。『PE』ともいう」と記載されています(日本翻訳連盟「翻訳用語解説」)。

ポストエディットという概念自体は昔から存在していました。元をたどれば、その歴史は1990年代にまでさかのぼります。かつては、翻訳規則を人間が1つ1つ記述し、そのルールに基づいて翻訳を行うルールベース機械翻訳や、膨大な対訳データから統計的に訳文を生成する統計ベース機械翻訳などが用いられてきました。しかし、これらの時代の機械翻訳は、出力結果の訳文が硬く不自然なことも多かったため、非常に大規模な手直しになることがほとんどでした。

その状況を劇的に変えたのが、現在の主流であるニューラル機械翻訳です。これは、ニューラルネットワークという人間の脳の仕組みを模した機械学習の手法を用いて翻訳を行うもので、ルールベースや統計ベースに比べ、格段に流暢で自然な訳文精度を実現しました。

また、最近話題のChatGPTなどに代表される、LLMなどとも呼ばれる大規模言語モデルという仕組みを用いて翻訳を行うケースも出てきています。LLMは単に訳すだけでなく、文脈に応じた柔軟な表現生成も得意としており、ポストエディットの可能性をさらに広げる存在として注目されています。

現在、ポストエディットの需要がこれほどまでに高まっている背景には、このように機械翻訳が進化を続け、私たちポストエディターが扱う素材の品質が飛躍的に向上しているという事実が挙げられます。質の良い素材があるからこそ、ポストエディットというプロセスが多様なビジネスシーンで実用的な選択肢となっているのです。

●クライアントと翻訳者の双方にメリット

次に、ポストエディットのメリットについて、クライアント側、そして翻訳者側双方の視点から見てみましょう。

クライアント視点から見たポストエディットの最大のメリットは、「コスト削減」です。機械翻訳が翻訳の初稿、つまり下訳を瞬時に生成してくれるため、人間が一から翻訳するのに比べ、作業時間を大幅に短縮できます。この短縮された時間分がコスト削減に直結するわけです。特に何百ページにも及ぶマニュアルや、日々大量に更新されるEコマースの商品説明など、ボリュームの大きい案件でその効果は絶大です。

もう1つの大きなメリットが、「納期短縮」です。コスト削減と同様の理由で、全体の作業時間が短くなるため、当然納品までのスピードも向上します。市場の動きが早い製品のプレスリリースや緊急性の高い社内通達など、スピードがビジネスの成果を分けるような場面で、ポストエディットは非常に強力な選択肢となります。

クライアント側のメリットとして、コスト削減と納期短縮について話すと、翻訳者への負担が増えるのでは、と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、翻訳者側のメリットとして、「作業効率の向上」が挙げられます。

翻訳者にとって、何もないまっさらなページに向かって最初の一文を考え出すのは、非常にエネルギーのいる作業です。ポストエディットではすでに機械翻訳による下訳が存在するため、この0から1を生み出す負担がなくなります。私たちは、提示された訳文を評価し改善していくという、より専門的な編集作業に集中できます。これにより同じ時間でより多くの量をこなせるようになり、結果として収入の安定化につながる可能性も十分にあります。

翻訳者側のメリットとしてもう1つ、「単純作業の軽減」が挙げられます。契約書に出てくる定型文やマニュアルで繰り返し使われる表現など、比較的単純なセンテンスを機械翻訳に任せることができます。少し前までは単純なセンテンスも修正が必要でしたが、今日の機械翻訳の精度では、ほとんどの簡単なセンテンスは修正を加える必要がなくなっています。その結果、私たち翻訳者は、より高度な思考が求められる部分、例えば読者の心に響くクリエイティブな表現を考えたり、専門知識を要する複雑な箇所を正確に訳したりといった、人間にしかできない高付加価値な作業に、より多くの時間とエネルギーを注ぐことができるようになります。

ポストエディットは、クライアントと翻訳者の双方にとってウィンウィンの関係を築くことができる非常に合理的な手法だと思います。

そして最後にもう1つ、市場全体に関わる大きな視点があります。クライアント側のメリットであるコスト削減や納期短縮が実現することで、今まで費用や時間の問題で翻訳の対象にすらならなかったドキュメントが新たに翻訳される可能性が生まれます。

ポストエディットによって既存の翻訳市場が縮小すると懸念される声も聞きますが、私はむしろ、翻訳されるコンテンツの総量を増やし、市場全体のパイを拡大させる大きな可能性を秘めていると考えています。

このようにポストエディットはクライアントと翻訳者の双方にメリットをもたらす合理的な手法であるわけです。

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