日本翻訳連盟(JTF)

ポストエディット最前線 新時代のスキルで切り拓く翻訳者の未来(前編)

講演者:株式会社カルテモ取締役事業推進部部長、翻訳品質管理責任者 荒木 慎太郎さん

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●フルポストエディットとライトポストエディット

では、ポストエディットの案件を受ける際、私たちはどのような品質を目指して作業すればよいのでしょうか。

実は、ポストエディットと一括りに言っても、求められる品質レベルによって作業内容は大きく異なります。その品質レベルを示す最も代表的な指標が、「フルポストエディット」と「ライトポストエディット」という2つのカテゴリーです。これは、翻訳サービスの国際規格であるISO18587でも定義されている世界共通の認識です。

(出典:ISO HP「ISO 18587:2017(en)」)

まずは、フルポストエディットから見ていきましょう。上のISOの定義をご覧ください。少しわかりづらい表現ですが、翻訳するとすれば、「通常翻訳によって得られる成果物と同等の成果物を得るためのプロセス」などになるでしょう。

これはつまり、最終的な納品物が、人間がゼロから翻訳したものと同等レベルの品質でなければならない、ということです。文脈や訳語が正しいことはもちろんのこと、文体や表現の自然さ、用語の統一、クライアントのスタイルガイドの準拠など、あらゆる面で通常翻訳と同等の品質が求められます。フルポストエディットは主に、企業のWebサイトやマーケティング資料、製品マニュアルといった、社外の人の目に触れる非常に重要なドキュメントに採用されます。

次にライトポストエディットです。こちらの定義を翻訳するとすれば、「通常翻訳によって得られる成果物と同等の成果物を得ようとすることなく、単に理解可能なテキストを得るためのプロセス」のような感じになるでしょう。重要なのは、「単に理解可能なテキストを得る」という部分です。フルポストエディットのようにあらゆる側面で通常翻訳と同等の文章を目指すのではなく、内容が正しく意味が理解できる、という点に焦点を絞って最低限の修正を行います。

ここで注意したいのは、「単に理解可能なテキストを得る」と定義されているだけであって、どうやって単に理解可能なテキストを得るかについては定義されていないということです。

例えば、あるクライアントでは、ライトポストエディットで文章の大意を正確にしてほしい、それ以外の軽微な誤訳は無視してよい、といった要件を提示することがあります。一方、別のクライアントでは、翻訳の正確性はあらゆる場面で担保してほしいが、その他の要件はベストエフォートで構わないという要件を提示する場合もあります。このように、ライトポストエディットについては、クライアントによって品質要求は様々です。

●ライトポストエディットの品質要求

ライトポストエディットは単に理解可能なテキストを得ることを目的としつつも、その具体的な品質要求はクライアントによって様々であるわけです。この「様々である」という点が、ライトポストエディットを理解する上で非常に重要なポイントになります。

その具体的なサンプルとして2つのケースをご紹介します。

これらは実際の品質要求を想定して私が作成したサンプルですが、ライトポストエディットではだいたいこのような品質要求が提示されます。

まずケース1から見ていきましょう。こちらのケースを一言で表すなら、「要点把握重視型のライトポストエディット」と言えるでしょう。翻訳の正確性の項目を見ると、「原文の主なトピックについて誤訳がなく、大意が伝わる」ことが求められています。これはつまり、細かなニュアンスや比喩表現の完全な再現よりも、文章全体の骨子、つまり何を伝えたいのか、結論は何なのかという中心的なメッセージが正しく伝わることが最優先されるということです。スペルミスや用語の不統一などは、原文の主なトピックについて誤解させない限り許容される、とあります。

このような品質要求のライトポストエディットでは、一字一句の完璧さよりも、まずは情報の素早い伝達が重要とされる、社内向けのドキュメントといったニーズに対して適用されます。作業としては、修正のスコープを大要の理解を妨げる致命的な誤りに限定する、という割り切りが求められます。

次にケース2です。こちらはケース1とは対照的です。翻訳の正確性の項目では、「誤訳がないようにし、特に慣用句が正確に表現されているかを確認する」とあり、非常に厳格な基準が設けられています。さらに、「スペルミスや文法の誤りは必ず修正する」と定められており、文章としての基本的な正しさはほぼ通常翻訳と同等のレベルが期待されていることがわかります。

では、何がライトなのでしょうか。それは、その他の項目に書かれている通り、「厳密なスタイルガイドの遵守やトーンの一致は求められない」という点です。つまり、文章の意味や事実関係が完全に正しく、文法的にも間違いがなければ、それが少々無骨な表現であったり、マーケティング的に洗練されていなかったりしても許容されるということです。

例えば、社内で使用する仕様書や法務部が内容を確認するためだけの契約書ドラフトなど、文章の美しさよりも情報の正確性が絶対的に優先される場面でこのケースが採用されます。

このように、ライトポストエディットという同じ名前のサービスであっても、ケース1とケース2では、目指すべきゴールも修正内容も、そして思考プロセスも全く異なります。

また、ライトポストエディットで注意したい点としては、求められていない作業をしないということが挙げられます。ライトポストエディットでは、大量のドキュメントを複数のポストエディターが分担して担当することも少なくありません。もし、ある担当者がよかれと思って要求以上の修正、例えばリーダビリティの改善などを行ってしまうと、他の担当者との間で仕上がりに差が生まれ、成果物全体の均質性が損なわれるという問題が発生します。また、不要な作業を行っていると、納期に間に合わなくなってしまうなどの不都合が生まれる場合があります。

ですから、ライトポストエディットを担当する際は、完璧な翻訳を目指すのではなく、クライアントの品質要求に完璧にフィットさせること。この意識の切り替えこそが成功の鍵となります。

●ポストエディットは「翻訳以下の仕事ではない」

ここまでフルポストエディットとライトポストエディットの要求品質について詳しく見てきました。皆さんの中には、思っていたものと全く異なるという感想を持った方もいらっしゃるかもしれません。ポストエディットは需要が高まっているといえども、まだまだ誤解されているケースが非常に多いように思います。

そこで、ポストエディットにまつわる数ある誤解の中から、特に重要なものについて解説していきたいと思います。

まず、「ポストエディットは単価が低くて楽な仕事である」という誤解です。

確かにポストエディットの単価は、従来の翻訳に比べて低く設定されていることが一般的です。しかし、その理由は、仕事の価値が低いから、あるいは楽をしていいからでは断じてありません。単価が低いのは、機械翻訳という非常にパワフルなツールを活用することで、私たち翻訳者が効率を手に入れられるからです。ゼロから訳文を構築する時間を大幅に削減できる。その効率化によって生まれる時間的価値の一部が、価格としてクライアントに還元されているにすぎません。決して私たちの専門性やスキルの価値が下がったわけではないのです。むしろ、新しいツールを使いこなし、従来よりも早いスピードで高い品質を生み出すという新たなスキルが求められていると考えるべきでしょう。

次に、「ポストエディットのクライアントは品質をあまり気にしていない」というのも大きな間違いです。先述の通り、クライアントには明確な要求品質が存在します。フルポストエディットであれば、その要求品質は通常翻訳と全く同一です。

そして、ライトポストエディットであっても、要求品質がゼロではありません。たとえ「原文の主なトピックについて誤訳がないこと」という指示があっても、その品質要求の範囲内の品質はポストエディターが100パーセント担保しなければなりません。決して翻訳は不正確でよいという指示ではありません。

最後に、「ボストエディターには何が求められているか」ということです。

ポストエディットは機械の後始末というイメージを持たれている方もいるかもしれません。しかし私は、「クライアントに代わって翻訳にリスクがないことを保証する」ということがポストエディットで一番重要だと思います。

AI翻訳、つまり機械翻訳は、どれだけ精度が上がっても、自ら「この翻訳は100パーセント正確です」と責任を持って保証することはできません。

例えば、契約書の一部の誤訳が引き起こす金銭的なリスク、マーケティングコピーの不適切な表現が生むブランドイメージ毀損のリスク、マニュアルの誤解が招くユーザーの安全に関わるリスクなど、ビジネス上のあらゆるリスクをAIは理解できませんし、その責任を負うこともできません。

その保証と責任を担うのが、私たち人間のポストエディターなのです。原文の意図を汲み取り、文化的な背景を考慮し、納品物からあらゆるリスクの目を摘み取る。この最終的な品質保証こそ、AIには決して真似のできない、人間の専門家だけが提供できる本質的な価値なのです。

ですから、ポストエディットは決して翻訳以下の仕事ではありません。むしろ、機械との協業を前提とした、より高度な品質管理能力と効率化が求められている新しい時代のスキルであると私は考えています。

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