ポストエディット最前線 新時代のスキルで切り拓く翻訳者の未来(前編)
講演者:株式会社カルテモ取締役事業推進部部長、翻訳品質管理責任者 荒木 慎太郎さん
●ポストエディットの多様化
ここからは視点を変えて、ポストエディットを取り巻く環境が今どうなっているのか、そして未来にどうなっていくのか、その大きなトレンドについてお話したいと思います。
まず、ポストエディットの現在です。ここでのキーワードは、「多様化」です。ポストエディットの現在をひと言で言い表すなら、まさに多様化のフェーズとも言えるでしょう。
かつて機械翻訳の品質がまだ発展途上だった頃、ポストエディットは一部の限られた分野で特定の手法を用いて行われる、どちらかといえば特殊な作業でした。しかし、先ほどお話したニューラル機械翻訳の登場と、その後の継続的な精度向上によって、ポストエディットは翻訳業界において一般的な手法として定着しつつあります。
1つの手法が当たり前になると、次に何が起こるでしょうか。それは、その手法が様々なニーズに合わせて形を変え、細分化していく多様化のフェーズです。現在はまさにこのフェーズの真っただ中にあり、主に3つの側面でその多様化が進んでいるように思えます。
① 対象ドキュメントの多様化
かつてポストエディットといえば、その主な対象は、文章の構造が比較的シンプルで定型表現が多い取扱説明書などのテクニカルなドキュメントでした。しかし、機械翻訳の精度が向上し、より複雑な文章も正確に訳せるようになったことで、現在ではその対象が劇的に拡大しています。
例えば、読者の感情に訴えかける表現力が求められるマーケティングのコピーや、企業が制作するプロモーション動画の字幕、さらにはIRドキュメントのCEOメッセージなど、かつては人間による翻訳が必須とされていた専門性の高い分野でも、ポストエディットが積極的に活用されるようになっています。
② CATツールの多様化
CATツールは私たち翻訳者の作業を支援するソフトウェアですが、その環境も大きく変化しています。以前は、自分のPCにインストールして使用する、いわゆるデスクトップ型のツールが主流でした。しかし現在では、インターネットさえあればどこでも作業できるブラウザベースのオンラインCATツールが続々と登場しています。
さらに、セキュリティを重視する大手グローバル企業などが、自社のニーズに合わせて独自のCATツールを開発し、翻訳パートナーにその使用を求めるケースも存在します。このようにCATツール1つとっても、ポストエディットによって様々なCATツールが使用されるようになっています。
これからのポストエディターは、様々なCATツール環境に柔軟に対応できるスキルがこれまで以上に求められるようになっています。
③ 要求品質の多様化
先ほど、品質の指標としてフルポストエディットとライトポストエディットという2つのカテゴリーを紹介しました。しかし、実際の現場では、このどちらにも当てはまらないケースも存在します。あるクライアントでは、独自にミドルポストエディットという品質指標を設定している場合もあります。
この要求品質の多様化こそ、ポストエディターがクライアントの真のニーズを汲み取り、柔軟に対応する能力を試される最も重要な側面と言えるでしょう。
このように3つの多様化を紹介しましたが、この傾向は今後も続くことが予想されます。これからのポストエディターには、こうした多様化に柔軟に対応する力が求められています。
●需要増加でポストエディットが必須スキルに
では、この流れは今後どうなっていくのでしょうか。
今後、ポストエディットの需要はさらに増加していくことが予想されます。なぜなら、その根幹にある機械翻訳の技術がこれからも間違いなく進化を続けるからです。
この需要の増加は、主に2つの側面から起こると考えられます。ボリュームの増加と対象ドキュメントの拡大です。
①ボリュームの増加
1つ目のボリュームの増加については、今まで人間がゼロから翻訳する通常翻訳が当たり前だった領域に、ポストエディットが浸透していくという流れです。
例えば、先ほど現在のパートで触れた専門性の高いマーケティング資料や契約書といった分野がこれに当たります。機械翻訳の精度がさらに上がれば、こうした分野でも機械翻訳+ポストエディットという手法が品質とコスト、スピードの面で最適な選択肢となるケースが今以上に増えていくことでしょう。つまり、既存の翻訳市場のパイの中でポストエディットが占める割合が大きくなっていくということです。
②対象ドキュメントの拡大
そして、私が特に重要だと考えているのが、2つ目の対象ドキュメントの拡大です。
これは、そもそも今まで翻訳されてこなかった新しい領域が、ポストエディットによって翻訳市場に加わるという大きな変化を指します。世界中の企業の中には、膨大な量の社内ナレッジベース、日々更新される顧客からの問い合わせログ、グローバルチーム間のチャットのやり取りなど、翻訳のニーズはあるものの、コストや手間の問題でこれまで全く手がつけられてこなかった言語データが無数に存在します。
機械翻訳の精度が上がり、ライトポストエディットのような手法がさらに洗練されれば、こうした翻訳を諦めていたドキュメントでさえも、低コストかつ迅速に多言語化することが可能になります。これは、翻訳市場そのものが拡大していくことを意味します。
このように、ポストエディットは既存の市場におけるシェアを高めると同時に、新たな市場を創出する可能性を秘めています。
これからの翻訳者にとって、ポストエディットはもはや選択肢の1つではなく、キャリアを築く上で避けては通れない標準装備のスキルとなっていく、新時代のスキルとして、ポストエディットスキルが必須になる、と私は思っております。
今後、ポストエディットの需要は増加するという私の予測だけでなく、その傾向を表すデータを見ていきましょう。
| 第 8 回翻訳・通訳業界調査 集計結果 「ポストエディットの打診および依頼が前年と比較して増えましたか」 |

出典:(一社) 日本翻訳連盟 業界調査委員会
上の表は、日本翻訳連盟が2025年3月~4月にかけて実施した第8回翻訳・通訳業界調査の結果です。法人152社、個人680名が回答した非常に大規模な調査となります。
その調査における「ポストエディットの打診および依頼が前年と比較して増えましたか」という質問を見てみると、ポストエディットの打診が増えたと回答した方が230名いらっしゃいます。これは、変わらないと回答した133名を大きく上回り、全体の33%がポストエディットの打診が増加したと回答したことになります。33%の増加は、業界全体のトレンドを示すのに十分な数値と言っていいでしょう。
これは1つの調査結果に過ぎませんが、このように現在の翻訳業界でも確実にポストエディットの需要は増加しています。
ここまで、「ポストエディットとは」という基本的な定義から、ポストエディットの現在と未来に至るまで、ポストエディットの全体像をお話してきました。データが示す通り、ポストエディットの需要は確実に高まっています。後編では、その大きな流れの中で私たち翻訳者が活躍し、キャリアを築いていくためには具体的にどのようなスキルを身につければよいのかを見ていきます。(後編につづく)
◎講演者プロフィール

荒木慎太郎(あらき しんたろう)
株式会社カルテモ取締役 事業推進部部長 翻訳品質管理責任者
2013年、株式会社カルテモにて翻訳者・レビュアーとしてキャリアをスタート。10年以上にわたりポストエディットの最前線で品質向上に取り組む。現在は同社取締役品質管理責任者として、実務に加え、品質定義の構築や効果的なフィードバックフローの確立、次世代を担う新人育成に注力している。社外では、翻訳専門校フェロー・アカデミーでポストエディット講座を不定期で担当し、ポストエディターの育成にも貢献している。
