日本翻訳連盟(JTF)

2026年度 日本翻訳連盟定時社員総会 基調講演
AI翻訳、進歩したからこそ必要なこと

< 前ページ

●AIによる翻訳例④-契約書

次に日英翻訳です。これは私が作ったものではなく、JTFが翻訳業務の契約書の雛形として作っている日本語です。それをChatGPTに訳してもらいました。

ChatGPTで出してもらった英訳では、いきなり冒頭に「For purposes of this Agreement,」という原文にない言葉が入りました。この原文にないものが入るのというのも、先ほどの「interesting(面白い)」と同じように、ChatGPTは気の利いたことをやるわけです。でも、契約書のように厳密さを求められる文書の場合に、そういう気の利いたことをやってもらっていいのかどうかという問題があります。

それから最後のほうに、「前条に定める秘密情報であるものに限らない」とあります。その「前条に定める」のところが「under this Agreement」になっていて、これも係り方を考えると意味が違います。

契約書など、学習データが膨大にあって、相当高いレベルで翻訳できそうな分野だと思います。それなのに、やはりChatGPTだからこそやってしまう結果が出てきました。

●プロンプトによっては改善の余地がある

もう1つの例文ですが、これは私が文章の最後を省略して「~」としたら、どうもそれが影響したようで不正確になってしまいました。すみません。

この「甲及び乙」云々という文章をChatGPTにかけると、1行目「shall not disclose to each other(甲と乙とがお互いに)…」という英訳が出てきました。実は、日本語原文の省略してしまった部分に、「第三者に開示してはならない」という文章がありました。

この「第三者」のところが、「each other」になってしまいました。これももしかしたら、「甲(First Party)と乙(Second Party)がお互いに」という学習データがどこかにあって、それが持ってこられてしまった結果ではないかと思います。

英訳のほうは、先ほどの英日の翻訳例のように、プロンプトを2回、3回変えることまでは試さなかったので、プロンプトによってもっと改善される余地はあると思います。

くどいようですが、さらに進んだ現場での使い方はこんなものではありません。世の中は今、冒頭にお見せした多段階のLLMのような状況まで進んでいます。

●AIが進歩してもその本質は変わらない

例えば、先ほどの翻訳例で私が出したプロンプトはせいぜい2~3行、数十文字でしたが、冒頭で示した図(多段階のLLM)のような世界では、仕様なども含めて何千字もの詳細なプロンプトを指定するらしいので、プロンプト次第で生成AIの精度はもっともっと上がると思います。そして、複数のLLMを組み合わせて弱点を補い合う多段階のシステムを構築すれば、さらに精度を上げることは可能でしょう。

しかし、今のサンプルでご覧になって分かったように、「確率に基づいて文を組み立てる」というAIの本質は、どんな組み合わせをしようと変わらないはずなのです。

だから決して、誤訳はゼロにはならない。ただ、誤訳がゼロにならないのは実は人間の翻訳者も同じで、残念ながら私たちも誤訳はしてしまう。実際、今まで契約していた人間の翻訳者よりもAIのシステムのほうがよいという声も聞かれ始めているそうです。

私のまわりのフリーランスの中でも、「去年からの半年で相当仕事がなくなってきた」「転職した」といった声は確実に増えています。MTやAIが出るたびに、「仕事はなくならない。仕事の質が変わるだけだ」とよく言われますが、実際に現場では仕事がなくなっています。

●〈AI+人間〉の組み合わせが最強

しかし、AIの誤訳はゼロにならないし人間も誤訳するというなら、だからこそちゃんと人間とAIを組ませればいいのではないでしょうか。AIでやってかなりのところまでいった、でも完璧ではないから人間も見る。この工程をなくしてはいけない。また逆に、人間がやったものをAIで補ってもらってもいいんじゃないかと思います。

例えば、どこかの翻訳会社が社内LLMを作って、「うちの翻訳者さんはこれをどうぞ使ってください」と言ったら、翻訳者は契約している翻訳会社のLLMだから安心して使える。そこに自分の翻訳を投げて間違いを見つけてもらう。それを納品したら何もないより、あるいは人間のチェッカーがもう一回やるよりいいかもしれません。

本日この場で、フリーランスとしての私個人の意見はあえて申しませんが、業界として、「AIを単独で使うのではなく、〈AI+人間〉という組み合わせが最強なのではないか」というところを、今後もっと突き詰めて考えていくべきなのではないかと思います。

●MT/AIの正しい認識と運用を目指す最後のチャンス

最後に、翻訳に関わる3つのセグメント「ソースクライアント」「翻訳会社」「翻訳者」について考えてみました。

まず、ソースクライアント(発注企業)としては、翻訳コストをゼロにできれば理想的です。究極、皆さんそれを望んでいるはずです。ただ、私は「企業としての品格」というものがあるのではないかと思うのです。

先ほど言った、「モデルが学習される」という日本語でOKとしてしまうのならもうしかたがありません。でも「こんな日本語を発信しちゃったら恥ずかしい」と、ソースクライアントさんには思っていただきたい。そうでなければ、本日の私の話はすべて崩壊します。こんな程度の日本語でいいのなら、AIの進化で通訳・翻訳業界は終わります。でも、発注企業さんはもう少し、曖昧な言葉ですが「品格」ということを考えてくれませんか、とは思います。

翻訳会社が考えるべきことは、各社の都合によってケースバイケースだと思います。

私たち個人翻訳者は今から何をやっていくべきか。よく「MTPEで安い仕事させられている」と言いますよね。それをすぐに突っぱねろとは言いにくいのですが、ダメな運用がまだまだ確かにあります。先ほど言ったケースでは「ブログ翻訳なのにDeepLをかませている。これはダメだから人間にやらせてください」と提言しました。その後は人間翻訳でやっているのですが、「そろそろAIでどうですか」とまた言ってきたので、「使うなら別のMTエンジンにしましょう」と提案しているところです。フリーランスの翻訳者も、ダメなものには「NO」と言いましょう。

発注する会社はちゃんと日本語のことを考えてください。翻訳者はいろいろ条件があるけども、ダメなものにはダメと言いましょう。翻訳会社の皆さんはその間に挟まれて頑張ってください。

MTやAIについて正しい運用を目指すことができるのは、おそらく今が最後だと思っています。この段階を超えてなあなあにしてしまったら、たぶんもう後戻りできません。翻訳業界はなくなります。ということで、私たちがちゃんと日本語という文化を支えていくために、やはり全員で考えていきたいというのが今日の結論です。どうもありがとうございました。

次ページ >

共有